シリウスを探しに行こう

 ――そうだ、シリウスを探しに行こう!

 卒業式の数日前だった。
 志望校に合格したよと言われても、素直に「おめでとう」とは言えなかった。

 半分だけ泣き顔の私に、カズマは急に思い出したように、そう、言った。

 ――シリウス

 それは、幼馴染みの私とカズマだけが知っている秘密だった。
 はぐらかされたみたいで気に入らなかったけど……急に懐かしくなって、「いいよ」と、うなずいてしまった。

 家に帰ると、すぐに、押し入れの中身をひっくり返した。
 小学生の頃の習字セットや、固まりかけた絵の具、宿題ノート……もう、私は、中学三年生だってのに、大昔の小道具を捨てられずに押し入れに詰め込んでいたの。
 何だか解らないガラクタの下から、水色のスケッチブックが出て来た。
 ページを開いて見た途端に……すぐに、恥ずかしくなって、閉じた。

 それは、幼い頃に、カズマと私がふたりで作った秘密の「探検地図」だった。

◇   ◇


 幼い頃、広大な「ジャングル」だった場所は、いつしか、ただの街並みに変わっていた。
 お母さんから「ここから先には行ってはいけない」って言われていた場所――「世界の果て」だった道路は、今では学習塾へ通うためのただの道に過ぎない。
 スケッチブックに色鉛筆で描いた「探検地図」は、小学二年生だったあの頃の……子供の視界と、幼すぎた夢が下手っぴな文字でぎっしり詰め込まれていた。

◇   ◇


 カズマが、県外の高校へ行くって言い出したのは、二学期も終わりの頃だった。
「行きたい高校があるんだ」
 クリスマス一色の商店街を歩いて帰る途中に、そう、何気なくカズマが切り出したのが、最初だった。聞いたことのない高校の名前をカズマが口にした。
「どこよ、それ?」
 カズマの答えは、県外の知らない地名だった。
「うそ……だって、ここから通えないじゃない」
 驚いて聞き返した。
「伯母さんの家に下宿させてもらえることになったんだ」
 私とカズマは、市街地の外れにあるマンションに住んでいるの。鈴草ヶ丘ニュータウンのF棟で、私の家は二階、カズマの家が十二階。
 いつも団地の中にある公園で一緒に遊んでいた。幼稚園も一緒で、小学校も団地の中にあるから……ずっと、一緒だった。
 だから、高校も一緒だって思っていた。
 それなのに……
 もうすぐ、会えなくなる。
 カズマのお父さんの実家が京都だってことは、お盆休みの帰省後に、お土産に八つ橋をもらうから知ってたけど。それじゃ、遠すぎるよ。

◇   ◇


 十年ぶりの「探検」は、明日と決まった。
 カズマは引っ越しの準備があるし、私も市内にある高校への入学手続きとかもあるから、丸一日取れるのは、明日で最後だったの。
 夕方のテレビで見た明日の天気予報は、晴れ時々曇り所により一時雨……まあ、気にしないでおこう。

 明日のお弁当を作り終えた時、待っていたように、カズマから電話がかかって来た。スケッチブックを抱いてエレベータに乗り、十二階のカズマの家にお邪魔した。
 中学三年になってからは勉強と宿題ばかりで、カズマの家に遊びに行くのは久しぶりだった。

 夜風が冷たかったけど、ベランダに出て、夜景に揺らめく街並みを眺めた。
 あの頃、チビのくせにカズマは天体に詳しかった。星雲やロケットの写真が並ぶ図鑑を自慢そうに見せられたのを今でも覚えている。
 そんなだから、秘密の「探検地図」には――この十二階のベランダから見える夜景に星の名前を与えた絵が描かれていたの。

 毛糸のストールを羽織った私は、カズマのお母さんが淹れてくれたココアを舐めながら、ゆらゆらと揺れる夜景の街の灯と、「探検地図」を見比べた。
「……あれ? リゲル、ないよ」
 「探検地図」では青い星が記された位置、夜景には何もなかった。
「そこは、葉月町歯科の看板だったけど……」
「……そうなんだ」
 カズマが答える。
 私の声は、口にして初めて気づいたけど、少し寂しげだった。
 葉月町歯科の滝沢先生は、昨年秋に亡くなられたの。私も虫歯を見てもらったことがあるけど、その看板がリゲルだったとは気づかなかった。(だって、歯医者さんに行く時には、そんなこと考える余裕ないよ)
 それから、もうひとつ気づく。
「アルタイルあるけど、ベガは?」
 二階にある私の家からじゃ、向かいにある事務所が邪魔で、夜景はほとんど見えなかった。それに、中学生になってからは、こんな風に夜景を眺める時間はなかった。
 ううん。違うの。窓ガラスの向こうに、いつも夜景はあったはずなのに……カズマの部屋に遊びに来た時でさえも、見ようとはしなかった。
 まるで、夜景がそこにあることさえ忘れてたみたいに。
 たけど、コーヒーを片手にカズマは、すぐに答えを返した。
「アルタイルは県土木事務所の防災無線鉄塔についた航空標識灯、ベガは……五年前に閉鎖されたお菓子工場のネオンサイン」
 三月にしては冷たい夜風の中で、私は驚いてカズマを見返した。
 知ってたの……?
 カズマは、私の疑問に答えるかのように、次々と夜景を指差した。
「プレアデスは、六キロ先にある中央運動公園の野球グランドのライト。水銀灯の集まりが星団のように見えたんだ」
 今度は振り返って、南を指差す。
「カノープスは、パチンコ店キングダムの電飾……C棟の陰になるから端っこだけ見えるんで気づかなかったんだ」
 カズマも寂しそうに微笑した。
「そうなんだ……何だか、寂しいね」
 こんなに解っているのなら、明日、「探検」するものなんて残ってないんじゃないの。
 私は、両腕の中の「探検地図」が、急に色あせてしまったように思えた。子供でいられなくなるってことは、こういうことなのかな。
 だけど、カズマは、悪戯っぽく微笑した。
「ベテルギウスも、アンタレスも、それぞれ、市役所茅町支所と、中央図書博物館だったと確認できているけど……シリウスだけが解らないんだ」
 本当に?
 カズマはゆっくりうなずいた。
 「探検地図」の中で、シリウスは別格の扱いだった。スケッチブックの一番端に大きく銀色の色紙を星型に切り抜いて貼り付けていた。
 シリウスは、この十二階のベランダから見通せる最も遠い光だった。遠すぎて、その白い輝きが何なのか、想像もつかなかった。
 幼かったあの頃、夕暮れを過ぎるまで街を「探検」した。いくつかの秘密の場所を「発見」したり、農業用水の暗渠を抜ける秘密通路を「開拓」したりした。どこかの庭先に迷い込んで、猛犬注意のシェパードに追い回されたり、側溝に落ちて泣いたりもした。
 夕暮れを過ぎて家に帰ると、二人ともお母さんたちに怒られた。
 でも、シリウスは遠すぎて辿り着けなかった。

 ――いつか、シリウスの謎を解き明かすぞ!

 それが、ずっと前に、最後の探検隊ごっこの後に、私とカズマが交わした約束。
 カズマは、覚えていてくれたんだ。
 夜風は冷たくっても、ココアが冷めてしまっても、潤んだ視界越しに髪の毛を撫でてくれた手は、ほんのり暖かかった。

◇   ◇


 トートバックの中身は、お弁当、コーヒーを入れた水筒、お菓子、手帳、そして「探検地図」。
 小学生の頃はともかく、今はおこずかいもあるし、コンビニでも喫茶店でも入ればいいけど……でも、あえてお弁当を用意した。あの頃は、お母さんに頼んで作ってもらったけど、今度はカズマの分も私が作った。カズマが好きなだし巻き卵は上手に焼けたし、大嫌いなトマトも入れた。
 こんな悪戯が出来るのって、ちょっと嬉しかった。

 お弁当タイムは、図書博物館近くの緑地公園にした。
「じゃんけん三回勝負、負けたら、お弁当は残さず食べること」
 お弁当の包みを開ける前に、噴水の角に腰掛けたカズマに、そう宣言した。
「ちょっと待て、それは卑怯……」
「嫌なら、お弁当あげない」
 カズマの文句を遮って笑う。
 しぶしぶカズマが、じゃんけん三回勝負に応じた。
 もちろん、圧勝。三連勝。
 カズマってば、じゃんけん弱いの。(私が、ごく微妙に後出ししているのは、内緒)
「さあ、全部、召し上がれ!」
 ワザとらしい仕草を作って、カズマの鼻先でトマト入りのお弁当箱を開けた。
「うわっ、やっぱりトマト入れてやがる……しかも、でかいぞ、これ……」
 そお。まあ、桃太郎、まるごと一個入れたけど。
「でも、だし巻き卵、おいしいよ」
 割り箸で玉子焼きを摘み、もぐもぐした後、ちょっと驚いたようにカズマが笑う。
「美味いな、本当に、これ、唯が作ったのか?」
 うん。あたしだよ。
「信じられね、家庭科、居残り補習のお前が?」
「そんなことないよ」
「だし入れ忘れて味噌汁作ったとか、カップケーキ焦がしたとか、ほうれん草を砂糖で茹でたとか、色々と悪い噂を聞いたぞ」
 だって、学校の家庭科室って、食塩も砂糖も、同じ様な形の容器に入ってるんだもの。
 むっとして、膨れっ面でにらむ。なぜか、カズマも真似をして変な膨れっ面を突き合わせた。

 ぷ~っ!

 後は、二人で大笑い。
 もうすぐ、会えなくなるなんて、少しの間だけ、笑顔の瞬間だけ、忘れられた。

◇   ◇


 夕暮れを過ぎて、郊外の小高い丘を登った。
 鈴草ヶ丘ニュータウンとは、市街地の真ん中を流れる菜月川を挟んで、ちょうど反対の位置にある丘陵地区だった。
 丘の上には、やっぱり、私たちの住む鈴草ヶ丘ニュータウンと良く似た景色が広がっていた。鳥の姿を描いたブロック敷きの歩道。公園の真ん中には、風見鶏をモチーフにしたモニュメントが建っている。十四階建てのマンションが南向きに揃って並ぶのも同じ。
 だって鈴草ヶ丘ニュータウンも、この場所――風見ヶ丘ニュータウンも同じ市営住宅だもの。まったく同じではないけど、建物の設計から運営管理まで、同じこの街の住宅公社がしているのだから、双子のように似ているの。
 だからね、F棟の屋上へあがる階段もすぐに見つかった。

 そして……シリウスは、そこにあったの。
 風見ヶ丘ニュータウン、F棟の屋上、高架水槽を包み隠すために、ここにも風見鶏のモニュメントが飾られていた。アルミニューム製の白銀色に輝く風見鶏を、眩しいほどにライトが照らしていた。
 それが、シリウスの本当の姿。
 私とカズマが、ずっと、捜し求めていた秘密の……あっけないほどに何でもない本当の形だった。

 ――これで、シリウスもなくなっちゃったね。

 ぼんやりとつぶやいた時だった。
 ふいに抱き寄せられた。
 カズマの指先が、すっと、遠くの夜景を指差した。

「違うよ、シリウスはあそこだよ」
 カズマが指差した先は、遠いけど、すぐに解った。
 初めて気がついたの。
 鈴草ヶ丘ニュータウンのF棟にも、屋上に金色の鈴をモチーフにしたモニュメントが、光り輝いていたことに。

 だから……それが、私とカズマの新しいシリウスになった。
 そう、新しいシリウスが、新しい約束。

 今度は、いつになるのかな? それは、解らないけど……
 でもね、私たちは、今度はね……出会って、ずっと一緒だった場所で、再び、会おうって、約束した。
 そうよ、今度は再会の約束。

◇   ◇


 そして、初夏、スケッチブックは、もう押し入れの奥底じゃなくって、私の机の上にいつも飾ってある。
 あの後、私たちは、新しいシリウスをスケッチブックの中の「探検地図」に書き入れて、探検隊ごっこを終えた。

 えっとね、新しいシリウスはね……恥ずかしいけどね……スケッチプックいっぱいの大きなハートマークにしたの。

(おしまい)


■あとがき
 ここまで読んで頂きありがとうございます。
 いかがでしたか? 高い所が好き、夜景も大好き……という天菜が即興で作った短編です。なんというか……砂糖、少々のつもりだったはずが、大さじ1杯くらい入っている気もしますが。

 この物語、夜景を星に見立てている都合で、「遠くの夜景」を描いていますが、私のお勧めは、むしろ、「近くの夜景」です。地上100m展望タワーよりも、ちょっと小高い丘や、建物の屋上とかの方が良いですね。言い換えるなら、「見降ろす夜景」よりも、「夜景の中から見る夜景」。
 すぐ傍の街路灯、眼下の道路を歩く人たち、自動販売機の灯り、少し先の点滅信号、もう少し向こうの……と繋がっている夜景の方が好きということでしょうか。電灯が点いたままの玄関先とかを見ると、「この家は誰か帰って来る人を待ってるんだね」とか、色々と想像を巡らせたり。

 短編のくせに、あとがきが長くなりそうなので、このあたりで。

 とにかく、読んで頂きありがとうございます。



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