灯油あります。
覆面作家企画6 F-10参加

 法令問題 1
 移動タンク貯蔵所には、火気厳禁と記載された標識を設置しなければならない。

 えっと、移動タンク貯蔵所っていうのはタンクローリーのことだから……丸かなぁ?
 店番をしながら、問題集とにらめっこ。
 危険物取扱主任者のうち丙種と乙種は受験資格がないから、高校生の私でも試験を受けられる。お家の仕事の都合から、お爺ちゃんが乙種4類を取れって、しつこくって。
 でも、これ、すごく難しいよ。法令とか消防法別表とかは力任せに暗記すれば、まだ何とかなるはず。だけど、化学はだめだめ。アボガドロの法則とか、ボイル・シャルルの法則とか、分数が出てくるのは絶望的。自慢じゃないけど、通分と約分は、私にとって鬼門だと断言するよ。
 世の中には色々な資格や免許があるけど、危険物取扱主任者資格は、燃料油の販売を手がけるうちのお店では必須の資格らしい。「らしい」というのは……うちに燃料油を買い求めにいらっしゃるお客様方は、とても燃費が良いから、一度の給油量は数百ミリリットルくらいしかない。つまり店舗内には、指定数量に届かないどころか、僅かな量しか燃料が置いてない。少量危険物取扱所にすら満たないんじゃないかと……?
 でも、何かトラブルが起きた際は有資格者がいないと、実際には困ってしまうから、やっぱり資格は取っておくべきだよね。
 で、私が勉強中なのは、乙種4類。引火性液体、つまりガソリンとか灯油とか菜種油とか……色んな油類の取り扱いと立ち会いができるようになる資格だったりする。手っ取り早く丸めて言うと、ガソリンスタンドの店長さんになれる資格かな。

 法令問題にうんうん唸っていたら、携帯が鳴った。うちのお店は明治時代に建てられた木造なのに、電波の通りが不思議と悪い。窓際まで問題集を小脇に抱えて走った。
 液晶画面の着信表示は、志織からだった。ため息。やっと、援軍が来たよ。志織は数学が大得意だった。宿題に、定期テスト対策に、いつもお世話になっている。
 志織をうちへ呼んだのは初めてだった。いつもは図書館や学校で勉強を見てもらっていた。だから、迷ったらしい。
「えっ? うち、どこって? バス停降りたの? じゃあ、まっすぐ川沿い……えっ? お化け屋敷しか見えないって?」
 ごめん。うち、それだよ。蔦が絡みついた煉瓦造りで、しかも無理矢理で歪な和洋折衷造りだから、何気に禍々しい印象を持たれる。まあ、禍々しいのは、大正解なんだけどね。

 からん、からん。
 真鍮製のドアベルが鳴って、ガラス扉が開いた。志織と綾花、それに高崎先輩に続いて、ゆらゆらとお客様もお店の中へ。
「いらっしゃいませ」
 まず、お客様にぺこりとお辞儀した。接客の基本は明るい挨拶からと、お爺ちゃんに仕込まれている。これは条件反射みたいなもの。
「ナズナ、何やっているの? こっち来て。あなたの援軍はこっちでしょ」
 志織の呆れた声に呼ばれて気づいた。志織は見えない人だった。恐る恐る残る二人、綾花と高崎先輩を見遣ると……二人とも、不思議そうな顔で私を見ている。
 ムリもない。うちを訪ねて来るお客様は、ガス欠寸前だから、炎が淡くて、相当に霊感が強い人じゃないと見えないの。

 後で説明するからと、ごまかしながら、志織たちをテーブル席に案内した。三年生の高崎先輩、一年生の綾花、私と同じく二年生の志織と、この四人で園芸部のメンバーだった。学校では何事もないフリをして、授業を受けて、部活では温室でシンビジュームのお世話をしていた。歴史のある校舎だから、時折、この世ならぬ方々のお姿が見えるけど、なるべく気づかぬフリをしていた。
 だから、取りあえず、三人には冷たいジュースを出して間を持たせる。うちのお店は、見えない人には……辛うじて喫茶店? に見えるはずだからね。

 次にお客様へ向き直る。お待たせしたことを詫びながら、エプロンスカートのポケットからメモを出して注文を取った。
 カウンターからガラス瓶を取り出す。菜種油と書かれたラベルを確認して、専用のガラス製水差に移した。
 もう一度、お辞儀。
 みんな驚くかな? 怪訝そうな視線を送っているテーブル席の三人に軽く微笑んで見せた。
 何もない空中へ水差を傾けた。
 でも、一滴も菜種油は零れない。
 さらに、何もなかった空中から、ふわりと蒼白い炎が沸き起こった。綾花と高崎先輩がそれぞれに奇声を上げた。
 ――これが、私のお仕事。
 ガス欠で消えそうになった人魂の皆様に燃料を給油しているの。
 つまりね、人魂様といえども、成仏せずに現世に留まっている以上は、エネルギー保存法則やエントロピー増大法則の適用を受ける。反応熱がマイナスになる冷熱の火だけど、燃料油が必要なの。といっても、人魂様は驚くほどに燃費が良いので、給油量も本当に僅か。例えば、このお客様への給油量はたった1合(約180ミリリットル)。これでも節約するなら半年は持つ。
 盛大に燃え上がる人魂様の傍らに立って、テーブル席を振り返った。綾花と先輩は完全に大慌て。今、まさに心霊体験をしている最中の人になっていた。まあ、初心者ではムリもない。でも……
「ナズナ、勉強するんでしょ?」
 こんなにも勢い良く火が燃え上がっているのに、志織には見えないみたい。やれやれ……私は、ため息をもういっこついた。

 うちのお店をご利用になるお客様の多くは、昭和初期以前に亡くなられた古い方々だった。お店が鹿鳴館時代のような有様なのも、店内を飾る調度品が蓄音機やタイガー計算機や真空管ラヂオなのも、そういう理由だった。
 このお店は、お爺ちゃんが集めたお客様方のためにあるのだから。骨董品屋みたいに店内を埋めるガラクタもお爺ちゃんとお客様方の趣味だった。
 ニキシー管なんて知らないよね。先輩は興味津々な眼差しでオレンジ色の火を灯す真空管を見ていたけど。
 それでね、私も客層に合わせた衣装でお出迎えをしていた。袴姿の上にエプロンスカートを羽織って、華奢なガラス製の水差を両手持ち。淡く揺らめく人魂に菜種油を注ぐ――この絵図らは、見えない人には、意外にも大正ロマンとかファンタジーとかに見えるらしい。
 でも、私みたいに全部、ちゃんと見える人には……
 今日のお客様は、戦国時代の落ち武者さん。髪は乱れているし、背中に矢が刺さっているし……と凄まじいお姿である。

 理数系の志織は、お化けとか超常現象とか一切、信じない。綾花と高崎先輩が、いくら「人魂が出た」と言っても全く取り合わない。見えないって、そういうものなんだと、逆に感心した。
 淡々と数学を教えてくれるんだけど……私は算数レベルだから、ごめんね。
 計算ドリルに赤ボールペンでバツをどばっと書いてから、志織が低い声で言う。
「ナズナ、分数の割り算は逆数を掛けるって教えたよね」
 うん。それは覚えているんだけど……
「逆数って、何だっけ?」
 志織が額を押さえた。唇だけで何か悪態をついた。それから、逆さになったカニの絵を描いた。
「分数の掛け算は、分母同士、分子同士を横に掛ける。逆数は分母と分子をひっくり返す……解った?」
 頷いた。解ったような顔をしなきゃいけないと思った。

 からん……微かに誰もいないのにドアベルが鳴った。懸命に目をこらして探す。もう消失寸前の人魂様がゆらゆらと近づいて来た。
 立ち上がってお辞儀をする。志織の呆れ声、綾花と先輩の震え声に向き直る。
「えっと、戦国時代のお客様がお急ぎなので、勉強中だけど、ちょっと、ごめん」
 お客様のオーダーはオリーブ油。何でも生前は、隠れキリシタンだったとか。太閤様の弾圧で大変な最期を遂げられた方らしい。愛媛県産のエクストラバージンオイルを給油したら、気に入って頂いたようだった。戸口までお見送りしたら、志織のかなり怒ったような声が降ってきた。
「気体の状態方程式、やるんじゃなかったの?」
 ――ごめんなさい。見えないって本当に説明に困るよ。
 気体の状態方程式と言えば、アボガドロさん。最初に名前を聞いたときは南国フルーツかと思った。理科の資料集で見た印象は、有名人ならば、肖像画を描いてもらう画家をもっと選ぶべきだと思った。天才はそういうことは気にしないんだろうか? もしも、うちにご来店頂けるんなら、ぜひ、この肖像画について事情を尋ねてみたい。でも、ご注文の単位が合でもリットルでもなくモルだったら、どうしよう。
「聞いてるの? ナズナ、あなた、帯分数とか理解しているの?」
 あう。また、怒られた。

 私が割り算が苦手なので、志織は問題集を入れ替えた。パンダさんが鉄アレイで筋トレしているイラスト入り問題集を突き出される。志織は成績優秀だから、ご近所の子供たち相手に家庭教師のまねごともしていた。将来の夢は保育園の保母さんとか言ってた気もする。だから、こんな可愛い計算ドリルを持っていたんだけど。
「さあ、ここ。商が立ちにくい割り算をやろうね。概数で見通しを付けるって習ったよね」
 ……概数って、何だっけ?

 鉛筆を握り、消しゴムを握り、困ってフリーズしていたら、またもお客様がいらっしゃった。今日は商売繁盛だよ。
 今度は、明治時代に鬼籍に入られた方。どこでお知りになったのか、裏メニューを希望された。もちろん、ダメなんて言わない。評判になっているのは、きっと、良いことだもの。

 奥の部屋へ行き、鍵付き保管扉を開けて、ガラス瓶入りの透明な液体を持ち出した。
 これは氷酢酸。純度99.8パーセント以上の混じりっけのない酢酸。凝固点が約17℃と高くて、うちのお店のように寒い地域では冬には凍る。こいつも立派な第二石油類で、腐食性があるから取り扱う際は手袋がいる。お酢が身体にいいのは、数パーセント水溶液まで。こんなの普通の人が飲んだら死んじゃうけど、人魂の皆様には不思議な人気があった。

「また、お越し下さいな」
 お客様をお見送りしてテーブル席に戻ると、ドリルがウサギさんのイラスト入り問題集に代わっていた。
「まさか、『小学2年生もんだい』を使う事態になるとは……」
 もんだいと、ひらがなで書かれていること自体が、屈辱的で痛々しい。
「あの志織さん、いくら何でも、これは……」
 遠慮がちに言葉を返すと、遮られた。
「解いて。きっちり解いて、高校二年生だって、証明しなさい」
 志織が怒った。怖いよぉ。

 ちゃれんじもんだい
 くりさがりのあるひきざん

 24-6=

 24-6って言ったら、4-6が引けないから、ひっくり返して6-4=2でしょ。
 次に10-2=8 10もらったから、2を1こ減らして1。
「……答え、18だけど」
 鉛筆でちょこちょこ数字をメモしながら解いた。志織が深いため息をついた。
「鈴代 奈津菜さん。これ、何?」
 志織の低い声が静かに私のフルネームを呼んだ。ゴクリと息を飲む。志織は怒りが閾値に達すると、こんな風に私の名前を呼ぶ癖がある。ちゃんと答えないと、次は雑草みたいな扱いをされる。二回、深呼吸してから答えた。
「えっと、減減法。旧校舎にいる昭和時代の校長先生が親切に教えてくれたのだけど……」
 加減法だと、引き算なのに足し算をするから混乱しちゃう。私みたいな子、向けの演算方法だよ。ポイントは二回目の引き算は必ず、10から引くので安心感があることかなぁ。
 校長先生は優しく丁寧に教えてくれた。
 素敵な先生なのに……綾花と先輩は、私の話を聞いたとたんに、学校の怪談だって、嫌そうな顔をした。校長室の写真が笑う……って、怪談が我が校にはあるけどね。そんなに蒼冷めた顔をしたら、生徒思いな校長先生に失礼だよ。
「さくらんぼ計算は出来るんだね、ぺんぺん……」
 志織の呆れ声が、私のことぺんぺん草って呼んだ。
 あう……
 雑草でもいいもん。私、人魂のお客様と一緒でいいもの。雑草も、人魂様も良く似ていると思う。頑張っているのに、誰にも気づいてもらえないってあたりが、ね。

 でもね、ぺんぺん草はどんなに荒れ果てた所にも生える。
 どんな悲惨な有様の人でも見捨てずにいつも傍にいるって、お爺ちゃんが言ってた。ぺんぺん草は本当はすごいんだよ。

 だからね、私は人魂のお客様方を応援したい。

 ――こんな風に終わりたくない。
 まだ、やり遂げていない。

 冷たく蒼い炎しか灯せないけど、人魂のお客様方の想いは、誰もが熱くて……これを怨念とか妄念とか呪いとか、悪く言う人はたくさんいるけど、私はそうは思わない。
 お客様方は、一生懸命に生きた。
 そして、こんな炎だけの姿になっても、まだ、諦めきれない想いがあるって、素敵じゃない。

 だから、消えてしまいそうなお客様には、たっぷり給油するの。特に、見えない体質の人を相手に、夜な夜な奮闘しているお客様には、頑張ってもらいたい。せめて、恨めしや!って叫びを――って想いは、大切にして差しあげたい。
 だから、淡い人魂の皆様にも聞こえるように大きな声で言いたい。

 ――誰も気づいてくれなくても、ガッカリしないでうちへ来て下さい。ハイオクでも、二硫化炭素でも、ジエチルエーテルでも給油します。

 諦めない限り心の火は消えないんです。いつまでも、燃え続けます。
 ここに存在しているんだって、全力で叫んで下さい。

 私も頑張って乙4取ります。
 特殊引火物でもC重油でも、ご希望とあれば何だってご用意いたします。
 もちろん、普通に灯油だってありますよ。

≪ Prev Page | Next Page ≫