ずっと空の高みに

■星歴1284年 8月18日 20時00分 パレンサーナ島高層天象観測所こうそうてんしょうかんそくしょ

 懐中時計を確かめたアリュシュが、私に振り向いた。出航時刻だった。

 真銀しんぎん製の指輪を私の薬指にそっと通してもらう。飾り気も何もない素っ気ない指輪だけど、嬉しくって、握ぎりしめた左手ごと胸元に抱いた。
「行こうか、誰の手にも触れられていない空の高みへ」
 アリュシュが車椅子を押してくれる。天空船《ペンシュティア》の操演台そうえんだいは、天象観測船てんしょうかんそくせんになって、ずいぶんと機器が増えているけど、でも、間違えなく私の居場所だった。
 魔法機環まほうきかんを封入した操演球そうえんきゅうを手渡された。
 呪文をささやく。
 とたん、私の意識が天空船と繋がる。きらきらとした光の砂が頭上に揺らめいていた。
 髪を撫でられて、見入ってしまったことに気づいた。
「何が見える?」
「天の川が見えます」
 悪戯っ気を含んだ笑み。きっと、この夜空を、私に見せたかったのだろう。天空軍船を操っていた時は、たとえ夜空の中にいても、星空を楽しむなんて考えたこともなかった。
「叶うなら、そこまで行きたいな」
 アリュシュは照れくさそうにつぶやいた。



■星歴1284年 2月12日、16時40分、ウルスティア領リズク回廊かいろう

 5ヶ月ほど前、私の居場所は奨学生扱いだけど、天空艦隊にあった。奨学金は魅力だったし、楽しかった時もあったけど……最後にいた場所には嫌な記憶しかない。

 艦橋に怒号が飛び交う。
 東行きリズク回廊かいろうの強い気流に煽られて、僚艦りょうかん《ペジスレート》が、本艦に押し被さって来る。
 こうなることは当然の帰結だった。だから、先ほど何度も無理と意見した。でも、聞き入れられなかった。天空騎士たちにとって、私は魔法機械まほうきかいの一部ぐらいにしか――たぶん、思われていない。
 後ろから悲鳴みたいな怒鳴り声。
「ダウントリム20、浮素管開放、降下だ、早くしろ」
 先ほど艦長は、「情報、指揮、伝達は総て参謀官さんぼうかんを通すこと」と言ってたはずなのに、操演台に身を乗り出して怒鳴り散らした。
 本船、つまり私が操演そうえんしていた魔法機械軍船《ペンシュティア》は、重爆装艦。だから重たくって小回りが効かない。攻撃のために陣形を転換する時だけ、風属性の加速魔法を例外的に使用できる。そんな不自由な船だった。なので陣形転換を失敗すると、後戻りできない。
 だから、先ほど「無理」と進言した。

 ――反乱貴族連合艦隊へ、法符爆雷ほうふばくらいを一斉投射し、一挙に勝敗を決する。

 この艦隊旗艦からの展開指示では、本船の展開位置は後方2列目だった。だけど、この直轄区出身の若い艦長は功名を焦って、旗艦の指示とは違う、最前列に無理やり展開しようとした。当然、他の船とぶつかる危険がいくらでもあった。
 蛍砂表示管けいさひょうじかんに左手の指を走らせた。浮力管理画面を呼び出す。ヒステリックな怒鳴り声を無視した。命令に復唱する代わりに、伝声管に向かう。
天測技巧官てんそくぎこうかん殿、20秒後の風を知らせてください。それに、反乱貴族連合の動きは?」
 小姑みたいな宮廷貴族には、私がこの船を掌握していることが気に入らないらしい。明らかに表情が怪しい。でも、天空船同士の空中衝突の危機は、本物の非常事態。
 私だけが魔法機械船に対する操演魔法を使える。だから、操演術師そうえんじゅつしっていうのに。
 今は時間が惜しい。だから、指揮系統とか言う宮廷貴族たちが作った面倒なルールは、スキップさせてもらう。
「天測より操演へ。ウインド・プロファイラーのデータを廻す。20秒後は、秒速50でダウンだ」
 同じ技術系の天測技巧官は話が早くて助かる。すぐに私の傍らに、魔法で作られた蛍砂けいさ表示がもうひとつ立ち上がった。
「悪い情報だ。敵艦隊が先制した。爆雷を投射している。うち、数本が本艦へ指向しているようだ」
 艦長がまたも黄色い声をあげた。
「通信、僚艦《ペジスレート》を呼び出せ」
 ――馬鹿。あっちも大慌てで通信どころじゃないはず。
「天測、《ペジスレート》の主舵と艦首三角舵を読んで下さい。僚艦のトリムが見えるなら教えて」
 問い合わせるよりも、すぐそこに異常接近中なんだから、勝手に見て判断した方が早い。
「天測より操演へ。主舵は――水平が右いっぱい、垂直舵、三角舵ともにダウン。かつ、メーンローターをリバース中」
 宮廷貴族ってば、何やっているのよっ!
 私までも怒鳴りたくなった。
「僚艦は、本艦の後ろへ隠れるつもりかっ!」
 艦長がわめく。敵が撃って来たと聞いて、盾にされたと思ったのだろう。
「ダウントリム、急げ」
 もう、いやだ。
 この人たちは、天空騎士のクセに天空船の位置関係すら、頭の中で組み立てられないの?
 まるで解っていないボンボン貴族の天空騎士の艦長を睨み返した。
「気流中で機関を反転したばかりの僚艦は一時的に舵が効かなくなります――アップトリムで回避します」
 天空船も水上船も原理は同じ。行き足がなくては舵が効かない。メーンロータを反転して逆推進に切り替えたら、数十秒間は行き足がなくなる。
 天測技巧官の風読みがダウンならば、当然、僚艦は姿勢を失ってこっちに流されて来るはず。風に逆らって飛ばなきゃ、この船の舵も効きが悪くて、避けられなくなる。
「ダウンだ。命令を聞けっ!」
 黄色い声が喚き散らした。
「あなた、死にたいんですかっ!」
 喚き返したとたん、頬を打たれた。
 ……後のことは思い出したくない。


■3月18日 帝都アゼリア市法王病院

 僚艦《ペジスレート》との空中衝突事故から。もう3ヶ月経っていた。ぼろぼろだった私の容態も、春めいて暖かくなったせいか、すっかり落ち着いていた。
 ちょうど、そんな頃に――
 艦政本部(天空艦隊の上のずっと方)から、私宛に転属の知らせと、いくらかの慰労金が届いた。
 馬鹿貴族どもの命令を聞かなくても良くなったのに、悔しくてベッドの上で声をあげて泣いた。
 私の船《ペンシュティア》ともども、天空艦隊からお払い箱になったの。
 ――だから、転属先が天象てんしょう局だったことも、新しい主が誰なのかも、通知書をちゃんと読まずに丸めたから――あの人に会うまで知らなかった。


 夕暮れ時に目が覚めたら、枕元にお見舞いの花束が置かれていた。それに手紙も添えられている。
 ――誰? お馬鹿な天空貴族たちは、空中衝突の責任を私に擦り付けて逃げたから、絶対に花束なんて贈って来ないはず。
「貴君を新しい天象観測船に迎えるにあたり、とりあえずご挨拶に参りました」
 印刷されたメッセージカードに、万年筆で「良く眠っていたので、また、会いに来ます」と書き足されていた。ブルーブラックのインクで、しかも走り書き。
 そして、カードの端に送り主の名前が手書きされている。
 ――天象局 天空回廊てんくうかいろう測量部 第7分室 主任天象技巧官てんしょうぎこうかん アリュシュ・リト・プランジット?
 ……誰? 私、たぶん、会ったことないよね?



■3月12日 午後2時 天象本局庁舎

 ――ペルティーム級? 重爆装艦を……俺が……?
 部長から手渡された書類に、俺は柄にもなく上擦った声をあげた。どういう事情があるのか怪しいが、軍払い下げ艦船としては破格の内容だった。
「君の探査計画レポートは読んでいる。スペックとしては問題ないはずだ」
 部長が回廊測量部にいる全員分の経歴や探査実績を読んでいるという、うわさは本当らしい。
「この船、買わないか?」
 部長は厄介ごとを他人に押し付けることも上手いと聞いている。
 何でも、損傷艦船が地方の貴族へ払い下げられる案件を聞きつけて、公募に出される前にツバを付けて来たらしい。
「風属性の加速魔法が使用可能な魔法機械船だ。めったに出る品物じゃない。それに、この価格……地方貴族を飼い慣らすためとはいえ、ゴミくず同然の安値だ」
 ぽんと肩を叩かれる。
改装かいそう費や修繕しゅうぜん費は、局の予算から助成金として出す。君は腐っても天空貴族なんだから、君には、応札する権利があるんだよ」
 さらに、ぽんぽんと肩を叩かれる。
「心配するな。財産区分は君の私有船だが、船籍は天象局扱いにしよう。改装費や修繕費だけじゃない。燃料費も総て局の予算で持つ。いい話じゃないか?」
 ここまで聞いてやっと理解できた。そろりと聞き返す。
「……部長も魔法機械船、欲しいんですね?」
 天空艦隊は、地方貴族を管理するため、こうして不要になった船を、ただ同然の価格で時々、払い下げている。有事の際には予備兵力として動員するにも、もしもの反乱が起きた際にも、貴族たちの船が「元天空艦隊所属艦」の方が都合が良いからだ。何といっても能力も構造も手に取るように解る。交換部品も天空艦隊が特待料金で安価に供給してやる。だから、地方貴族は素直になるという寸法だ。
 部長は大した狸だった。俺が名ばかりとはいえ貴族籍を持っていることをいいことに、そのサービス品を掠め取ろうって魂胆らしい。
 俺はと言えば……
 ただチャンスを待つだけの日々に焦り始めていた。各地に派遣された技巧官ぎこうかんたちから送られた観測データを取りまとめて、天気図や天象通報を書く……近頃はそんな内業ばかりの日々だった。このままじゃ天象局で書類と記録紙に埋もれてしまう。
 俺の宿願、超高々度回廊探査計画――つまり誰の手にも触れられていない空の高みを探査する計画だ。そのためには特別な天空船が必要だった。
 深呼吸した。
「わかりました。その魔法機械船、買ってみましょう」
 この程度の金額なら、先祖代々の果樹園の一部を売れば工面できるだろう。実家のじい様に泣き付いてみるか。
 そう、考えた俺は、後にして思えば、解ってなかった。魔法機械船はただの船じゃないってことをだ。
 それに日々の業務に追われていた。この件は部長に任せてしまい、船名すら確認していなかった。後で、船名や略歴を見て唖然とする破目になるとは思わなかった。


■3月18日 ウラァ造船所第14浮きドック

 間違いに気づいたのは、一週間後のことだ。
 受領した魔法機械船を確かめるため、帝都にあるウラァ造船所を訪れた。そこで造船所で問題の魔法機械船を預かる造船技師長から船体の状況や修繕と改装の見込みについて説明を受けた。
 交戦中に僚艦と空中衝突事故を起こして、袋叩きにされたと聞いていたわりに、船体の損傷は軽微だった。観測機器を一式、新調したとしても天象局から内示された予算内に収まりそうだ。
 魔法機械船は、無数の係留索と足場に囲われて、ドック内で盛大に解体整備されている。俺は、その壊れた天空船をぐるり、ひと廻り案内された。ひとまず満足すべき買い物だったといえるだろうと安堵した。だから、油断していた。
 髭面の技師長が、にんまりと意味ありげに笑った時も疑問を持たなかった。
 戦闘詳報を手渡しされた。
「衝突を上手く防舷バルジで受け流したらしく、船殻にも歪はない。熱雷共振魔法を1発喰らっているが、こちらも魔法機環系統の切り離し対応で魔法機械類の焼損を回避している」
 俺は天象技巧官だから、戦闘記録を見せられても完全には理解しがたい。だが、この天空軍船を操っていた騎士が、相当な使い手だと知れた。
「……どうだ? なかなかのモノだろう」
 機械油の匂いが染み付いた技師長が、にやにや笑う。
「あきれたな。安全離隔未満で法符爆雷を使いまくってやがる」
 僅かでもポジションを外したら、木っ端微塵になるようなアクロバットで、反乱貴族艦隊の集中爆撃を防いでいた。俺までも、思わず感嘆を漏らしたほどだ。
 このタイミングを狙っていたに違いない。狙い済ました技師長が写真を差し出した。だから、不覚にも受け取ってしまった。
「忘れ物じゃよ、おまえさん、自分が買った船が魔法機械船だってこと、忘れてないな?」
 手渡された写真には、ひとりの少女が写っていた。栗色の髪を肩までに切り揃えた、小柄なたぶん十七歳前後の少女だった。
 シュシュ・メル・メイテンファ?
 写真の端に書き添えられた名前に記憶はない。
「あんたの新しい従者だよ。いい娘だから、大事にしな」
 俺の頭の中で疑問符が、感嘆符に変わった。
 そうだった。この魔法機械船を運用するには、この少女と主従関係を結ぶ必要がある。



■2月12日、17時00分、ウルスティア領リズク回廊

 第2、第3主浮素管破損。
 後部居住区画より火災。
 右舷三角舵損壊。
 姿勢喪失。
 ロール軸方向に150度横転。

 ノイズ混じりの蛍砂表示管に映る状況は、ぼろぼろだった。
 ひっくり返った船内で、辛うじて保冷庫の中で生き残っていたソーダ水を、炭酸は苦手だからチビチビなめた。馬鹿貴族たちは祝杯をあげるためだろう。色々な種類のお酒を冷やしていた。きっと、ソーダ水もカクテルか何かのソーダ割の材料に違いないけど。

 僚艦《ペジスレート》との無様な空中衝突から僅か20分。もう、船内には私しかいない。衝突、火災発生、浮素を失い船体の平行を喪失……沈没寸前の有様に、甘ったれた宮廷貴族たちは脱兎のように、飛竜にまたがって逃げ出してしまった。もう、笑うしかない。
「もう、だめ。虫の息かも……」
 蛍砂表示管を見遣ると、反乱貴族艦隊は標的を私の船《ペンシュティア》に絞ったらしい。遠巻きに、でも確実に半包囲陣形を組み始めていた。味方のはずの第3艦隊群はというと、《ペンシュティア》を残して後退中。つまり私は、被害引き受け担当とか、囮とか――どうして宮廷貴族たちはこうも薄情なんだろう。辺境区管轄の第7艦隊群や、法王親卒教導隊きょうどうたいとかでは、損傷艦救出は鉄則だっていうのに。
 所詮は、反乱を起こした地方貴族も、その鎮圧を買って出た第3艦隊群(宮廷貴族のご子息様艦隊よ)も、戦争ごっこを楽しんでいたに過ぎないってコトかな?

 ……じゃあ、そんなコトに振り回されている私は何?
 名ばかりの貧乏な士族の家の末娘。操演術だけが取り柄でこの天空船を引き継いだけど……今じゃあ、たぶん、魔法機械の部品のひとつに過ぎない。

 なんで、こんなコトになっちゃったんだろう?


 ――最初は第4艦隊群だった。父の知り合いに、古老の天空騎士様がいて、操演術師を探していた。
 その頃、学費にも苦労していた私は、その話に飛び付いてしまった。だって、天空艦隊所属の操演術師となれば、それなりにお給金を頂けるうえに、私みたいな学生には奨学金も出る。
 第4艦隊群は妖魔ようま戦専属の緊急展開群だけど、実は意外と出番がなくって学校との掛け持ちも大丈夫だった。でも錬度が高くて、私はこの老騎士様からから天空船に関するあらゆることを学んだ。たぶん……いいえ、絶対、馬鹿貴族の艦長や参謀官よりも私の方が天空船に関する知識や技能は上のはず。
 僅か2年足らずの間だけど、私は「提督の孫娘」とか呼ばれていた。
 その退役間近の老騎士様は、若い天空騎士たちを育てることに熱心な方だった。その頃は毎日が一生懸命で気づかなかったけど、きっと、私は幸運だったと思う。多くの天空騎士たちから「提督」と慕われ尊敬を集める方の最後の「生徒」だったのだから。
 お爺様は私のことを本当の孫のように可愛がってくださった。もちろん、当時の他の乗員たちもね。
 だから、退役直前になって、ひとつだけ余計なことをした。法王親卒艦隊の教導隊相手の演習の際に、凄く難度の高い集中爆撃を披露したの。
 たぶん、目的はふたつ。
 ひとつは――私に、この天空軍船《ペンシュティア》の本当の使い方を教えるため。そう、法符爆雷を32本も積んでいる本当の意味をね。
 もうひとつは、私を含む乗員たちの進路のため。演習だけど、教導隊の艦船を沈めたんだから、乗員の評価はばっちりだった。

 だから、次に、私とこの船が配属になったのは、その法王親卒艦隊だった。儀式めいて堅苦しい場所だけど、誰もが優秀な人ばかり。大変だけど勉強になることばかりだった。
 きっと、お爺様は――貧乏で奨学金の一部までも実家に仕送りしていた私を慮って、お給金なら一番の法王親卒艦隊に推薦してくれたんだと思う。

 幸運が不運に反転したのは、ほんの数ヶ月前。お爺様が亡くなられたという知らせが届いたの。引退された後、故郷の南方の島に帰られて間もなくのことらしい。
 同時に、どういうわけか、お馬鹿な宮廷貴族だらけの第3艦隊群に移ることになった。思うに、お爺様が最後にやって見せた「物凄く難度の高い集中制圧雷撃」の派手さに目が眩んだ馬鹿どもが、お金を積んで、無理やり配属換させたんじゃないかって思う。
 法符爆雷は、浮素と推進器と魔法機環をひとつにまとめた小さな無人天空船みたいなもの。つまり攻撃魔法を運搬するための空飛ぶ魔法機械ね。絵物語になるほど大昔に、漆黒しっこく貴姫きひめ様が自軍の数の不利を補うために開発したらしい。
 その貴姫様の必殺技が飽和攻撃と言ってね――常識外れに多数の爆雷で相手を圧倒する大技があったそうよ。
 馬鹿艦長は、きっと、その飽和攻撃をやりたかったんだと思う。その馬鹿に引っ掻き回されて、とうとうお爺様の葬儀にも行けなかった。

 思えば、短い間だったけど……色々な人たちがこの船に乗って、一緒に過ごして、去っていた。私は操演術師だから、この天空船との組み合わせは固定だった。
 私だけが、ここにいて、いつも取り残されている……
 操演術師は、天空船と意識が繋がっている所があるから、一度、自分の船を持ってしまうとそこから離れられないの。
 だから、ぼろぼろになって、ひとり残されてしまうと、泣きたかった。

 だけど……

 お爺様がお元気だった頃、ここはとても楽しい場所だった。だから、こんな馬鹿馬鹿しいことでこの場所を失いたくない。
 私は、お爺様からこの場所を任されたんだもの。負けるもんかっ!

 残ってたソーダ水を一気飲みした。サンダルを脱いで裸足になる。上下左右も怪しい操演台で水色の操演球を抱いた。

 ――やってやる。絶対、負けない。

 蛍砂表示管に真銀の指輪を填めた左手を奔らせた。法符爆雷管理画面を呼び出す。
 法符爆雷第24番を分離。風属性の衝撃魔法「サヤの犬釘」をセット。標的は、本船後部の火災箇所。
 とたん、魔法機械は安全離隔不足や自船へ被害が及ぶ可能性などのエラーを返して来る。
「うるさい。燃えてる区画ごと火事を吹き消すのっ!」
 管理者権限コードを叩き付けた。エラー表示を黙らせて安全確保手順をスキップする。
 さらに、船首側の第1、2、16番の法符爆雷を起動。格納架台に爆雷を固定したまま、無理やり、ダミーの巡航命令と高度指示のデータを捩じ込んだ。
 船首に括り付けたままの法符爆雷に浮力を発生させて、損傷した主浮素管の代わり勤めをさせるの。無理やりでも船体姿勢を回復させる。

 今度は、甲高い機械音が船橋に響く。
 壊れかけた天測系蛍砂表示管を叩いて直した。天測技巧官までもがいないと、空中監視も私が全部しなきゃいけない。

 警告――敵艦より短周波魔法音韻を照射されています。

 船窓を振り仰ぐ。こっちがまだ死んでいないって気づいて、敵のみなさんは慌てて攻撃準備を始めたらしい。
 警告の短周波魔法音韻ってのは、つまり、攻撃用の諸元を得るために使う探知機械魔法のこと。標的(私のことだよ)の正確な位置と運動方向を確かめているの。
 法符爆雷を管理する蛍砂表示に目を奔らせた。不敵に笑ってみようと思った。まだ、爆雷はたっぷりあるもの。

 迷いと思考は一瞬。
 手順は、間違えないように口に出した。
「法符爆雷第4番から15番、18番から22番を分離」
 左手で爆雷管理画面、右手で操演球を廻して軋む船体の姿勢を何とか保つ。一度に多数の法符爆雷を分離すると、重量物を失った船体重心の位置が変わる。普段なら大丈夫だけど、無理やり姿勢を維持している今の状態では大変だった。
 さらに、サンダルを脱いで裸足になった左足の指で、法符プログラムを書き変える……敵が仕掛けて来そうなことを全部、先回りして相殺魔法を組んでやる。重爆装艦だもの。1個艦隊全部よりもたくさんの法符爆雷を積んでいるんだから、甘く見ないで。

 ――敵方、法符爆雷接近中……

 ふっと、空中監視画面の中で、ベクトル変換を示すたくさんの矢印が浮き上がった。やっぱり……

 警告――敵、法符爆雷に包囲されつつあります。

 じっと、天測監視画面を見詰めた。定石どおり概ね5度刻みの爆雷配置だったけど、やっばり下手くそだ。11本の爆雷で5度刻みの包囲輪形陣リングフォーメーションを組んだのに、12番目のポジションが空いていない。所々のポジションをごまかして、隙間を詰めていた。
 これなら付け入る隙があるかも。
 計算尺を引っ張り出して、大粗で計算してみた。
 ――だいじょうぶ……かも?
 法符爆雷は、魔法を詠唱する自動機械を積んでいる。正確に配置されていないことには、各法符爆雷の連携が上手く機能しない。特に共振魔法では正確な位置関係が必須なはず。

 敵反乱貴族艦隊が放った11本の法符爆雷が攻撃魔法の詠唱に入った。《ペンシュティア》を火属性の魔方陣が取り囲む。基本的な魔法だったから目視で何の呪文か判別できた。
 さっき分離した法符爆雷16本総てに水属性の防御魔法を指示した。
 あっけなかった。
 反乱貴族側の放った熱共振魔法を完全に弾き返した。
「ちょろい、ちょろい」
 私は余裕だった。後で考え直すと、このタイミングで対抗雷撃するべきだったかも知れない。でも、私は敵艦隊を潰すこと自体には興味がなかった。妖魔や魔法機械相手ならもとかく、反乱を起こしたと言っても同じ天空貴族だから。傷付けるのは嫌だった。
 だから、第2射も敵艦隊に撃たせて、完璧な防戦を目指した。

 なかなか敵は仕掛けてこない。痺れを切らした頃に、敵側の法符爆雷は何か複雑で見たことのない魔法陣を展開し始めた。
 目視で判別できないから、古文書アーカイブに参照した。ちょっと、嫌な感じがした。
 右手を法符プログラム管理画面に添えたまま、古文書アーカイブからの回答を息を詰めて待つ。
 火炎系、光波系、衝撃破壊系……それとも、熱共振系? 敵側の法符爆雷の中身はどんな攻撃魔法?
 敵の攻撃パターンを先読みして、こっちは敵よりも多数の爆雷を全力防御に投入。そんなに間違った判断じゃないと思ってたのに。妙な魔法を仕掛けられると気味が悪い。

 ――古文書アーカイブより回答。

 風系統熱雷魔法「メルクッセンの柊」である可能性……蛍砂表示に目が点になった。

 完全に裏目だった。そんな珍しい魔法を反乱貴族が用意しているとは予想外だったの。
 相殺魔法は土系統の何だっけ? とにかく使えそうな防御魔法を選択。土系統「ドラスの鉄篭目」を全爆雷に詠唱させた。
 今度は、相殺し切れなかった。手持ちの法符爆雷の半数が雷撃ショックで焼損した。船体にもダメージが及ぶ。辛うじて生き残っていた補助翼が吹っ飛んだ。再び、姿勢喪失。一生懸命に平衡を戻そうと操演球を廻したけど、船体がゆっくり横転を始めた。

 だけど、敵法符爆雷の攻撃は止まらない。またも、見覚えのない魔法陣を展開された。

 ――第2波魔法陣文様を解析。風系統熱雷上位魔法「メルクッセンの鉄槌」である可能性……古文書アーカイブからの回答は、さっきよりもひどい。
 うそ……防ぎきれないよ。
 とっさにソーダ水の空き瓶を投げ付けて、継電管を叩き割った。魔法機環に電撃を喰らったらおしまいだもの。できたことは、それだけだった。



■3月18日 帝都アゼリア市法王病院

 看護士に案内された病室で、シュシュ・メル・メイテンファはぐっすり眠っていた。傍らに立てられた点滴パックに視線がゆく。
「鎮痛剤を投与しています」
 看護士はため息混じりにいう。俺が点滴パックのラベルに書かれた薬剤名を読んで顔をしかめたことに気づいたらしい。
「アリュシュ技巧官殿は、法術医官の資格もお持ちと伺っています」
 少女のカルテを手渡された。そこには、見覚えのある字体で伯父の署名がある。
「なるほどな……」
 ようやく、なぜ俺がこの天空船を買うことになったのか、その理由が見えた。
 うちの部長と、伯父と、天空艦隊関係の誰かと……狸ジジイどもの間にアルコールを介した人脈があるらしい。
 くそ部長め、俺にこの娘の治療をさせるつもりか?
「……ひどいな」
 俺もカルテに目を通してため息を吐いた。熱雷魔法「メルクッセンの鉄槌」を左足に喰らっていた。裸足で蛍砂表示管を操作して法符プログラムを打ち変えていたらしい。そんな反則をしている最中だから、攻撃魔法からの電流をもろに裸足から喰らっている。
 大腿動脈から大動脈へ体深部に電流が流れたらしく、胸郭まで電撃を受けていた。左手に真銀製の指輪していたことが幸いして、頭をやられていないのは不幸中の幸いというべきか。
「数ヵ月後には、鎮痛剤も薬湯も効かなくなります」
 看護士は俺に言い含めるみたいな声色でカルテを読んだ。
「治癒魔法を使う法術医官の出番って訳か? しかし、この有様じゃ……」
 看護士はうなずくと、封筒を手渡した。
 その手紙は見覚えのある達筆で綴られていた。まさかと思った。しかし、辻褄が合う。
 それで、なぜ、俺がこの少女と契約するハメになったのか、理解できた。
 高高度探査計画を餌にされて、うっかり喰らいついた俺は何をやっているんだか。

 
■4月4日 帝都アゼリア市法王病院

 アリュシュは、それから繰り返しお見舞いに来てくれた。花束、焼き菓子、果物と毎日、お見舞いを持ってきてくれるのは嬉しいけど、恐縮してしまう。だって、彼は私の新しい雇い主のはず。
 その彼がようやく仕事の話を切り出したのは、月が変わり桜が咲いた頃だった。

 左上端をホチキス止めされた資料を捲る。
「――超高層天空回廊調査計画?」
 対流圏界面たいりゅうけんかいめんだとか、浮力増加機関だとか……艦隊では見たこともない単語が並んでいた。
「まあ、自由研究みたいなものさ」
 ずいぶんと、空の高いところまで行くの?
「あの、対流圏界面って?」
 小首を傾げてみる。
「入道雲のてっぺん。入道雲は対流圏界面まで成長すると、そこが天井なのでかなとこ雲になるんだ」
 アリュシュの説明を私は、うわのそらで聞き流していた。それよりも、胸元の疼きが妙に熱っぽいのが気になる。
 だから、勇気を掻き集めた。
「あなたは、私と《ペンシュティア》をお金で買ったと聞いています。あの、あの……」
 俯いてしまいそうな気持ちを何とか励まして言葉にする。
「私に、何を望みますか?」
 きっと、泣きそうな顔をしていたと思う。だからアリュシュは黙って、私が話すのを待ってくれた。
「お爺様……ラト提督は私に聡明な生徒であることを望まれました」
 息を継ぐ。
「2番目の主、法王親卒教導隊では、優秀な奨学生であることを」
 次は出来れば思い出したくない
「3番目の第3艦隊群では、たぶん、命令に忠実な魔法機械の一部でした」
 僅か3年足らずの出来事だった。
「あなたは、4番目の契約の主です。私に何を求めますか?」
 車椅子がカタカタと音を立てている。必死に耐えているのに、身体の震えが止まらない。
 だけど、返された言葉は意外だった。
「伯父から、『提督の孫娘』を治療するように頼まれた」
 アリュシュはお爺様のことを提督と呼んでいた。不思議に思い私が小首を傾げて見せると、アリュシュは言葉を補った。
「ラト提督には、法術医官の研修生時代にお世話になった。天象技巧官に転向できたのも提督の指導のお陰だ」
 えっ……?
 アリュシュは、少し照れくさそうに表情を揺らした。
「うちは代々、法術医官や魔法薬師の家系だ。当然、魔法資質ってヤツを受け継いだからには、お前も医術を志せって、頭ごなしにチビの頃から言われ続けて来た」
 アリュシュが窓の向こうに視線を向けた。
「だけど、空が見たかった。こっそり天象学の単位も取った。提督は苦笑いだったけど、俺のために天象局に紹介状を書いてくれた」
 照れ隠しの笑顔が、年上なのに可愛いと思った。
「提督には、天象技巧官として必要な多くを学んだ。その恩義を返したい」
 後で聞いたことだけど――お爺様は亡くなる前に、たくさんの方々に私のことをよろしく頼むって手紙を書いていた。そのほとんどは、かつてお爺様が指導した人たちだった。第3艦隊群の宮廷貴族どもの所に移された私をずいぶん心配していたそうなの。
「うちのくそ部長も、提督に基礎を学んだクチだ。俺は、狸ジジイどもに化かされたらしい」
 アリュシュはお酒が全然呑めない。だから、彼に《ペンシュティア》を購入させたうえ、専属で私の治療をさせる企みを、上司たちが酒席で打ち合わせていたことに気づかなかったそうなの。
「そういう訳で契約してほしい。主治医として治療に全力を尽くすつもりだ」
 何か本末転倒だった。
 あはは……と声をあげて笑った。だけど――アリュシュは笑わずに私を見詰めていた。その意味に気づいて、怖くなって、自分の身体を両手で抱いた。
「わたし、死ぬの?」
 じっと瞳を見詰められる。
「毎日、朝夕の2回、治癒魔法を掛ける。症状の進行次第では高位治癒魔法も用意する」
 それが答えだった。
 後は声をあげて泣いた。アリュシュは、私が泣き疲れて眠るまで傍にいてくれたらしい。



 目が覚めたのは、深夜だった。枕元に資料が残されていた。

 資料を捲っていた手が止まる。次のお仕事の場所が記されていた。
 パレンサーナ島高層天象観測所こうそうてんしょうかんそくしょって……お爺様のご出身地で、確か、お墓がある場所。第3艦隊群にいたせいで、葬儀にもいけなかった。それがずっと引っ掛かっていた。

 ――お爺様が呼んでくださったの?


 帝都アゼリア市から、高層天象観測所のあるパレンサーナ島までは、天象局の高速船でも20日も掛かった。その間、毎日、ずっと、アリュシュは私に付き切りだった。
 一方、《ペンシュティア》はといえば、試験航海もかねて一足先に回送されてた。

 数ヶ月ぶりに再会した《ペンシュティア》は、天象観測船に改装されて変わり果てた姿をしていた。装甲板も法符爆雷もない。代わりに観測装置がどっさり。
 主舵には天象局を現す風見鶏の紋章が描かれていた。
 ――不思議な感じだけど、ほっとした。



■8月18日 10時30分 パレンサーナ島墓地

 大きめの麦わら帽子に隠れた。北部ペーファリユ地方出身の私には、南の島の遠慮ない日差しは、焼け焦げそうに感じた。
 出航の日の朝にアリュシュは、お爺様のお墓参りに連れて行ってくれた。

 お爺様のお墓の掃除や草引きはアリュシュがしてくれた。この場所まで車椅子を押してくれたのも、そう。
「出航前に提督にご挨拶に来れて良かったよ。シュシュのお陰だね」
 日差しの中でアリュシュが笑う。だから胸がきゅっとなる。
「あの……」
 だから、勇気を出して言葉を続ける。
「あの……私はいつまで……?」
 想いを言葉にしたら、悲しくて、俯いてしまいたい気持ちに耐えて、日焼けした顔をを見詰める。私の新しい主は、一瞬、驚いた顔をしていたけど、すぐに一生懸命な笑顔になる。
「ずっと――じゃだめか?」
 それから浅黒い腕にぎゅっと抱き上げられた。囁くようにアリュシュが呪文をとつぶやく。少しだけ疼いていた胸元の痛みが和らぐ。私の生命は、この優しい人の魔法で支えられている。
 ごめんなさい。私、きっと、また、泣きそうな顔をしてたと思う。
 私が不安になるたびに、この人はこうして抱いて治癒魔法をくれた。
 汗と草の匂いがした。

■8月18日 20時10分 パレンサーナ島高層天象観測所

 パレンサーナ島の天象観測所てんしょうかんそくしょの人たちが、中庭に出て見送ってくれた。短い間だけど、みんな楽しくて親切な方々だった。観測所の所長さんまでもベランダで手を振っている。
「あの、天象観測船《ペンシュティア》、出航します」
 軍船の出撃と違って、旗艦から指示はない。ど田舎南の島だから管制局もないし……全部自分で判断するって、何か、慣れない。

 ふと、いま貰ったばかりの真銀の指輪に目がいく。これって結構、高価なもののはず。大昔からの風習に過ぎないけと、アリュシュは契約の証をちゃんと用意していた。
 傍にいてくれる約束の形だけど……嬉しさと申し訳なさが私の中でごっちゃごちゃになっていた。

 出航してから数日間は、天象局の定時観測業務の応援をこなした。気温や気圧、降雨量とか観測結果を天象本局へ送信するだけの単調なお仕事だったけど、初めてのことは楽しかった。
 それから、熱帯擾乱を追いかける練習も半日だけしてみた。いま天象局にある超高層天象観測ができる天空船は、この《ペンシュティア》だけらしいの。
 私が風の魔法を使えるから、移動速度の速い熱帯低気圧でも追い付いてデータが取れるって。天象本局と通信したら、熱帯擾乱担当の予報官から、物凄く期待されていることを伝えられた。何か、不思議と嬉しかった。

■8月24日 4時25分 南洋海上空

 誰かに左手を触られている感覚で目覚めた。
「ごめん、起こしちゃったな」
 えっ?
 車椅子に座り膝の上に操演球を抱いたまま、いつの間にか眠っていたことに気づいた。
 アリュシュは、私の手首を掴んで、蛍砂表示管を操作していた。この操演台の蛍砂表示管は操演術師の私しか扱えない。私が居眠りしたから、私の手首を持って、アリュシュはこの《ペンシュティア》を操演していたの。
「ごめんなさい、私……」
「コーヒーでいいか?」
 居眠りを詫びようとした私の声が、差し出されたコーヒーの匂いで遮られた。寝ぼけたまま、うなずく。
「砂糖はいくつ?」
「ふたつ下さい」
 毛糸のひざ掛けにストール。むくむく巻きの姿で熱めのマグカップを受け取った。ふうっと、湯気を吹いてマグカップに口を付けようとして……
 ふっと、気づいた。
 探査範囲内に何かいるっ!
「まさか、高度4万5千セタリーブを越えているぜ。こんな高さまで昇れる船なんて」
 高度表示をふたりで確かめた。成層圏界面せいそうけんかいめん付近の高度を示している。
 アリュシュは、あり得ないと首を振りながらも観測機器を弄り始めた。光学望遠鏡を向けてくれた。こっちよりも、さらに高い場所にいる天空船が見えた。
「これっ……朝顔の紋章が……」
 拡大映像の中、問題の天空船の船尾主舵に朱色の朝顔の紋章が描かれていた。
 反射的に古文書アーカイブに照会しようとしたら、手を握られた。
「ちょっと、待て。天空艦隊のサーバーにこの画像を送るのはまずい」
 あ……言われて気づいた。
「たとえ法王親卒艦隊でも、こんな高度でどんぱちを始める根性があるとは思えないが……」
 うなずいた。朝顔の紋章を持つ妖魔の魔法機械船と言えば、1300年も大昔に活躍した漆黒の貴姫の艦隊に所属する天空軍船の可能性が高い。
 当然だけど……その存在が知られたならば、妖魔専属の第4艦隊群が動員されるはず。妖魔の天空船が発見されたら、たとえどんな場所へでも赴く使命を負っているもの。
 だけど、こんな空の高い場所に上がれる天空軍船なんて、今の技術ではたぶんない。こんな場所で太古の妖魔船を見つけたなんて報告したら、きっと、大勢の人に迷惑をかけてしまう。
「天象本局庁舎にも古文書アーカイブを整備した魔法機環がある。こいつなら、バイパス経由でこっそり使えるはずだ」
 待つこと15分。天空軍と異なり、天象局の魔法機環は反応が鈍い。気象通報向けの通常業務が忙しいので、それ以外の処理は後回しにされるとか。

 ――漆黒の第2艦隊所属 呪符爆雷じゅふばくらい投射艦である可能性があります。

 天象局古文書アーカイブからの回答は、ムダにたくさんの文献情報が連なっている。
「要らない古文書のリストだらけ……」
 私がつぶやくと、アリュシュが言い返した。
「これが古文書アーカイブ本来の姿だよ。天象局は戦争しないから、これでいいんだ」
 古文書アーカイブが返した大量の情報と、いま観測中の不明天空船の情報を突き合せて、ふたりでため息をついた。
「本当に貴姫様の船かも……知れないです」
 私の言葉にアリュシュもうなずく。たぶん、めったにない大発見のはずだった。
「まいったな」
 アリュシュが息を吐いた。未踏空域と信じた場所にとんだ先客がいる。
「あの……」
 もう冷めてしまったコーヒーをすするアリュシュの背中に声をかけた。
「……これは、大発見って訳には行かないな。みんなに面倒をかけてしまう」
 アリュシュは、不味そうな顔でマグカップを置いた。
「俺とシュシュだけの秘密にしよう。悪いが、この船の魔法機環にある観測情報を細工してくれ」
 うなずく。ひざ掛けの上で自転する操演球に触れる。
「ごめんね。あの船のことは、忘れて」

 もうすぐ夜明けだった。空の色が紫から水色に変わり始めている。微かな通知音と同時に、蛍砂表示管がこの船が上昇限界に到達したことを伝えた。
「《ペンシュティア》の上昇限界です。貴姫様の天空船まであと3千セタリーブですけど」
 そう、大改装した《ペンシュティア》が精一杯に羽ばたいても、まだ、太古の天空船の生き残りに届かない。それが現在の私たちの技術の限界。
「浮力増加装置、運転停止――あの船は、眠っているみたいだな」
 アリュシュは観測装置を確認して、その天空船の魔法機環がほとんど活動していないことに気づいた。もう千年以上も昔に戦っていた天空船だもの。
「お伽噺の答えを見つけたみたいだ」
 アリュシュはコーヒーのお代わりに口を付けた。
「太古の昔に一万隻を越える妖魔の天空船が活動していたのに、そいつらはどこへ行ってしまったのか?」
 私は、空を見遣りながら操演球を抱いていた。ゆっくりと《ペンシュティア》が降下を始めた。
「空のずっと高み、とても綺麗な場所で、星になれる時を待っているって、そんなお伽噺をチビの頃に聞いた……天象技巧官になりたいって思い始めた最初のきっかけだけどね」
 うん。本当に綺麗な空だね。
「わたしも、いつか……こんな綺麗な場所にいけるかな?」
 アリュシュが振り向いた。だから、一生懸命に笑顔を見せた。
「俺も一緒に行く。空の高みを探す研究はまだ始まったばかりだ」
 髪を撫でられる。嬉しくて今度は素直に笑うことができた。

(おしまい)


■西暦2012年8月18日 5時58分

 ごめなさい。今年も遅刻です。

 遠く空の高みを目指す青年と、自分の居場所を探している少女のお話ってはずが、微妙に予定と違う気もします。
 
 何気に現在準備中の「天空海戦物語」の予告編みたいになっちゃいました。単独でもお話が通じるようにしたつもりですが、読み難かったらごめんなさい。

 使わせて頂いたお題は――
 天の川、ソーダ水、裸足、自由研究、入道雲、汗、麦わら帽子、南の島、朝顔

 ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。



≪ Prev Page | Next Page ≫