転移門の守人 #10
月と星の選択

 「沙加奈姫……」

 ラスの表情は、かなり疲れていた。私を守るために呪文を使い続けた。妖魔が張り巡らせた障壁を破るためにも……
 それなのに、ラスが私を求めて歩み寄って来たとたん、私の中にもうひとつ呪文が紡がれた。
  やだっ、やめて……
 自分の身体が、私の意思とは無関係に動く……
「紅き光矢よ、我が言葉に応えよ」
 攻撃呪文を無造作につぶやいた。私の左手が挙がり、ラスを指差す。
 数条の紅い光の矢が、ラスの胸元を次々と射抜く。突然の攻撃をラスは避けることができなかった。微かな悲鳴を漏らして、うずくまる。
  ラスっ!
 悲鳴は、言葉にならなくて、心の中だけで叫んだ。
 ラスは、胸元を押さえながら、肩で息をしている。それでも、再び、立ち上がると、私の方に歩き出した。
 再び、気持ちと無関係に振舞う身体が、左手を挙げる。
  もう、やめてっ!
 勝手に私の唇が、ラスを傷つけるための呪文をつぶやく。
 ラスは、恐れることなく私へ歩んで来る……
 身体の中に湧きあがってくる攻撃魔法を、解き放たないようにと、必死になる。
 とても長く感じる数歩を越えて、ラスの腕が私を抱き止めた。
  離れて、私、もう、我慢できないよ……
 光矢魔法を蓄えたままの左手が、ラスの鼓動に触れた。でも、ラスは私が攻撃魔法を放つ寸前の状態にあることも無視して、愛しそうに私の髪を撫でている。
 そして、ラスの手が止まる。微かに、うめいた。
 私は、抱かれたまま、またも光矢魔法を放ってしまったことに、気づいた。
  もう、私、封印してもうしかないのかな?
 ふと、そんな考えが浮かんで来る。

 その時、月の魔法で紡がれた回廊の端が、呪詛世界へと届いた。数億も離れているのに、回廊は簡単に繋がってしまう。
 誰か、向こうにいる!
 そうなの。呪詛世界にある魔方陣に、誰かが立っていた。まだ、扉を開いたわけじゃないし、繋がった回廊を伝って感じ取る感覚はとても微妙だけど、何となくだけど、そう感じた。とても、物憂げな淋しそうな表情をした女の人だと思う。そして、まるで死神のような巨大な銀の鎌を手にしたまま、私の方を眺めながら……
  沙加奈、あなたは、月に魅入られても、いいの?
  星は、希望。とても苦い希望。
  月は、星を諦めてしまった人の行き場所だけど、
  あなたは、まだ、星を求めてもいないのに……いいの?
 その女の人の言葉は、距離が遠すぎるせいで微かにしか聞こえてこない。でも、はっきり私に向けられた問いかけだとわかった。
 呪詛世界にいて、私を心配してくれる人……私には、ひとりしか思い当たらなかった。
  お母さんなの?
 私の問いに、数億の距離を隔てた回廊の向こうにいるその人は、少しだけうなづいた。
  お母さん……
 小さな頃から何度も会いたいと思ってた。でも、なぜ?
 お母さんは、私が妖魔の手に落ちて、呪詛世界への回廊を開いてしまうことを知っていたかのようだった。そして、それを悲しんでいるみたいに感じた。
 星の魔法といわれたって……そんなの私、知らない。どうしたら、いいのかも。戸惑う私に、お母さんがヒントをくれた。
  星の魔法には、呪文はありません。
  ただ、星を求める気持ちだけで、いいのです。
  ただ、苦くても星を欲しいと思うこと。
  たった、それだけのことだけど、
  とても、難しいこと……
 お母さんの言葉は、どこか淋しさに濡れていた。詳しいことは知らないけど、私が生まれるよりも前に、お母さんは月に魅入られてしまった。「とても、難しい」と最後にいう言葉は、微かに震えていたように思う。
  さあ、時が来た。
  回廊は呪詛満ちる世界へと繋がれた。
  扉を開き、死と灰と骨の魔法を完成させるのだ。
 妖魔の声が、高らかに宣言した。勝ち誇ったような妖魔の声に、ラスの視線が険しくなる。そして、私の唇が、最後の呪文をつぶやき始めた。
 もう、封印してもらうしかない。私、このままじゃアルトシア世界を本当に滅ぼしてしまう。あのペザ事件と同じに……
  ラス、私を時間封印して。早く、封印してっ!
 必死になって心の中で叫ぶ。身体の自由を妖魔に奪われているから、声が出せない。すごく、もどかしい。私は、ラスの腕の中にいるのに、すぐそこに、ラスの優しい顔があるのに。
「沙加奈姫、どうやら知ってしまったのですね、私が隠していたことを……でも、私は沙加奈姫を封印するつもりはありません」
 ラスの指が、優しく私の頬を撫でて、涙を拭ってゆく。
 私は、いつの間にか自分が泣き出していることに気づいた。泣き虫だと思う。でも、ラスは気づいてくれた。私の涙の意味までも全部知っていた。ラスは、本当に私のこと、何でも知っている。でも……
「あなたが呪詛世界から、このアルトシア世界へ来たときから、多くの者たちが封印を主張していました。誰もが、沙加奈姫の月の魔法の力を恐れていたのです。まだ、幼かったあなたの左胸に真銀の楔を打ち込むべきだという者までいました……」
 ラスの告白に、私は少なからず驚かされた。だって、左胸に真銀の楔っていったら完全に化け物扱いだよ。でも、ほとんど誰とも会わない片田舎にいたせいで……ううん、おばあちゃんとラスに守られていたから、そんなこと知らずにいたの。
「昨夜、女王宮においても再び、沙加奈姫を封印することを命じられました。しかし、従うつもりはありません。時間封印を行えば、あなたをひとりぼっちにしてしまうことになります。できません……あなたを守ると約束しましたからね」
 私の唇が勝手に紡ぐ呪文は、もう、完成間近だった。それなのに、ラスは、すごく優しく微笑した。私は、心の底から愛されていたことに、今頃になって気づいた。私は、本当に子供だと思う。私はラスのことを好きだと思ったけれど、こんな風に痛いほどに想われていたことに気づかなかった。
「封印することは、できません。沙加奈姫、私は人形のようになったあなたを守ることには、耐えられそうにありません……泣いたり微笑したり、時にひどく淋しそうにする……私が愛して守りたいと願ったのは、そんな沙加奈姫だからです」
 そして、ぎゅっと抱き寄せられる。まるで、ラスは何かに酔っているみたいに見えた。
  やだよ……
 まるで、最後のお別れをするみたいな、そんな抱擁だった。
  そして、死や灰や骨を望む呪文を紡ぐ私の唇を、ラスの唇が覆い隠した。

 静寂は、やっと束縛から開放された私の悲鳴で破られた。
「ラスっ!」
 突然、ラスが苦しげにうめいた。全然、力がない私はラスを支えることができなかった。ふたりで、もつれたまま倒れた。
「ラス、ラス、しっかりして!」
 うつ伏したまま苦しんでいるラスに、必死に呼びかける。でも、ラスの背中は痙攣するように震えていた。私は、突然のことで何が起きたのかも、どうしていいのかも……ただ、戸惑うばかりだったの。
「離れてっ!」
 乱暴に突き飛ばされた。ラスの腕に弾かれた私は、ひっくり返ってしまった。そして、身を起こしたところで、動けなくなった。
 あまりに激しく悶えるラスの姿に、私は怖くなってしまったの。駆け寄ることさえできずに、ただ呆然としていたと思う。でも、それは短い時間だった。ラスは、すぐに動かなくなっていた。

 膝の上へ抱き起こしたラスの横顔が、あまりに蒼ざめていることに驚いた。もう、息をしていない。ラスの頬に触れると、その冷たさに指先が震えた。私は、ようやく、自分が何をしてしまったのかに気がついた。
「ラス……? ラス、ちょっと、やだよ、こんなの……ねっ、ラス……」
 何が起きたのか、認めることが怖くて、無駄なのにそんな風に呼びかけた。もちろん、答えはない。自然と、手脚から震えが始まって背中へと伝わる。
 ラスは、自分の命と引き換えに、私の唇が唱えた死と灰と骨を願う呪文を呑み込んでしまったの。だから、呪詛世界への回廊は、解き放たれる時を待って、閉ざされたままで揺れている。
 こんなにしてまで、ラスが私を守ろうとするなんて思わなかった。ラスが死んじゃったなんて、まだ、信じられなかった。涙は不思議と出てこない。代わりに震えが止まらない。あまりに突然の大きすぎる衝撃は、すぐには心が理解できないらしい。大切な人を失ったことも、ひとりぼっちになったことも……それが、ちゃんと心の奥で理解できる瞬間が来るのが怖くて、身体が震えている。

 妖魔が再び、歩み寄って来た。それが、ラスを迎えに来た死神であるかのように思えた。
「来ないで、どうして、こんなひどいことしたのっ!」
 取られないようにラスを抱きすくめた。その冷たさが、私の胸にまで伝わって来る。
 急に、涙がこぼれ出して来た。僅か数日だったけども、何度も抱っこされた温かな記憶が、いま、私の腕の中にいるラスがもう抜け殻だよと教えてくれた。
「ごめんなさい……ラス、ごめんなさい。ごめんなさい……」
 何度も何度も、私は泣きながら、ごめんなさいとくり返した。
 でも、妖魔は……うずくまったままの私に、冷たさに満ちた優しげな声で告げた。
「さあ、星と月の選択を……選択はまだ、なされていない」
 私は、下を向いたまま首を振った。そんなこと、もう、どうでもいいよ。
「では……月に魅入られるかね?」
 微かに私は、うなづいてしまった。何も考えたくなかったから……
 呆れたようなため息を、妖魔は大げさにした。
「ラス殿が封じたのは、回廊を開く呪文の最後のたった一言にすぎない。もういちど、同じ呪文を唱えれば、死と灰と骨の呪文は完成し呪詛満ちる世界への扉は開く……そして、ラス殿の願いと、このアルトシア世界は無に帰す。巫女姫、呪文を唱えるかね?」
 私は、怖くなって妖魔を仰ぎ見た。
「安心しなさい。もう、操ったりはしない。呪詛満ちる世界への扉は、巫女姫が自身の意思で唱えるのだ。それが月に魅入られる選択をしたことになる」
 私はただ、怯えた顔のまま妖魔を見ていたと思う。絶望の虜になる寸前だったと思う。だから、妖魔は続けた。
「さあ、死と灰と骨を願いなさい。あまたの人々を連ねることとなる葬列の先頭へ、ラス殿を迎えなさい……巫女姫、もし、あなたが月に魅入られることを望むなら……ラス殿の骨で造った砂時計を差し上げよう。この青年の魂の欠片で造った砂時計は、きれいな音色がするだろう。ラス殿の時間を自分だけのものにしたいとは、思わないかね? もちろん、月の魔法で造る砂時計だ。誰に振り向くこともない、巫女姫だけのものにラス殿をできるぞ」
 妖魔の誘惑は、どこか、的外れに感じた。
「大切な人を自分だけの物にしたいとは思わないかね?」
 私は、首を振った。
「大切な人を失ったのだ。自分の不幸が疎ましく、他者の幸福がいずれ妬ましく思えるだろう……何もかも壊してしまいたいとは、思わないかね?」
 絶望から投げやりな気持ちになりそう。でも、私は、まだ、嫉妬なんて気分になれるほどの恋愛をしたわけでもない。そうよ。まだ、これからなのに……
「何を望むのだ?」
 ただ泣くだけの私に、妖魔は呆れたようにいう。
「ラスを、返して……」
 僅かな時間だけど、泣き顔の私と、呆れ顔の妖魔はにらみあった。
 そして、妖魔がため息をついた。
「巫女姫は、まだ、月の魅力が理解できない無垢なままの子供のようだ。絶望が、羨望や嫉妬、そして憎悪に変わり得ることすらわかっていない……いいかね。月は人を魅入る。苦しみや絶望に怯える人々を、負の感情の連鎖へ落ちてゆく安らぎを与えて。それは、蒼い不安と憂鬱に彩られているが、諦めることと引き換えに安らぎが得られる」
 妖魔の言葉は、私にはちょっと難しかった。私が理解できていないことを無視して、妖魔の講義が続く。
「月は優しい。希望を失うことも、負の想いを抱くことも、不安や憂鬱に落ちてゆくことも……すべてを許してくれる。だから、あなたの母上、沙羅様は月に魅入られた。しかし、純粋なままの子供を魅入ることは、いかに月の魔法をもってしても、無理であったか……」
 そして、妖魔は、微笑した。
「では、星を求めなさい。星は、苦くて結構な意地悪だが、希望ある者だけに未来をくれる……実は、沙羅様の願いは、星なのだ。巫女姫が自身の力で星の魔法を手に入れることを、望まれている。巫女姫が月に魅入られなかった時には、ヒントを出してよいとも……」
 ヒント? お母さんが……? 私が、星の魔法を使えるようになることを?
 悪魔のように私を魅入ろうとしていた妖魔から、邪気が消えていた。
「ラス殿は、死んだわけではない。死と灰と骨の呪文を体内に封印しているにすぎない。長くは持たないが……まだ、巫女姫が星の魔法に目覚めることを信じているらしいな」
「どういうことっ!」
 もう、死んでしまったとしか見えない。膝の上に抱いたラスの横顔は、青白くて、冷たくて……でも、生きているの? 私は、妖魔のちらつかせるヒントに飛びついた。
「呪詛満ちる世界への回廊も、我と我が半身も、そしてラス殿を傷つけたのも……すべて月の魔法によるものだ。ゆえに、星の魔法を用いてすべてを消し去ることが可能だ。残念なことに、月の魔法の力は、星の魔法のそれに遠く及ばない」
 真っ暗闇に閉ざされそうだった私の中に、急に希望が湧いてきた。
「私、星の小箱を開けれたから、星の魔法があるんだ……でも、どうやったら?」
「簡単なことだ。沙羅様が先ほど、回廊を通じておっしゃられたとおりに……星の魔法には、呪文も符形も決められていない。巫女姫が、それが星の魔法と、つまり希望を表す形と信じたものでよい……何でもよいのだ。答えは、すべて巫女姫の心の中にある」
 私は、自分の胸を押さえた。心の中にある希望を表す形……?
 膝の上に乗せた冷たいラスの横顔に、待っててねと、ささやいた。そっと、ラスを横たえさせる。立ちあがった私は、お母さんの言葉を思い出しながら、心の中を探した。

 右手の人差し指で、ゆっくりと描く。左下、右上、左、右下、上……空中に一筆書きの星を描いた。微かに指で描いた軌跡が、ぼんやりと銀色に輝いている。
「我、沙加奈、我が内に秘められた星の魔法に……」
 思いつくままに唱えた呪文にあわせて、星に触れた。しかし、脆くも星が崩れてしまう。
「どうして?」
 振り向くと妖魔は、大げさに肩をすくめた。
「そんな呪文が、巫女姫の心の中にある本当の願いか? なぜ、心の中にある言葉をそのまま現さない? 想いをぶつけるのだ。星はひたすらに求めねば、手にできない」
 私は、うなづいた。やっと、少しだけ理解できたような気がした。
「ラスを返してっ!」
 再び、星を指で描いた。今度は、星に触れることができた。しかし、その輝きは淡く揺れているだけ。
「もっと、強く願うことだ。けして簡単には星の魔法は手に入らない」
 私は、大きく息をした。
 初めは、右手を添えるだけだった。それが上手くいかないとわかったら、宙に描いた星に両手を重ねて願った。
「まだなの?」
 何度くり返しても、ぼんやりと宙に揺れる一筆書きの星は、淡いままで何も起こらない。でも、私の呆れたような声に妖魔は、それが当然という顔でうなづいた。
「苦い星の魔法は、この程度では手に入らない……急ぐことだ。ラス殿の生命は、風前の灯火にすぎない」
 驚いて、ラスを振り返った。青白いその横顔が、さらに白くなっているように感じた。
 ラスが死んじゃう! 私は、思い浮かぶ「死」という言葉が怖かった。
「お願い、ラスを助けてっ!」
 もう、必死に星を描くことを、ただくり返すしかなかった。

 何十回、ううん、数百回も……私は狂ったように、指先で空中に星を描き、両腕を叩きつけて、願い事を叫んだ。宙に微かな蛍光として揺れていた星は、くり返すたびに脆く崩れた。
「どうしてよっ!」
 涙で滲んだ星が、さらさらと砕けてゆく。そして、こんなに必死に願っているのに、その願いは叶わない。
 役立たず! 能なし! 馬鹿! 何もできない自分が悔しくて、心の中で口汚く罵った。ラスは、いまも私を信じて待っているのに……魔法学院の試験でとんでもない点数を取っても、「私、馬鹿だもん」って開き直っていた。でも、いまは無力な自分がとても悔しい。
 私は、我慢できなくて、ラスに駆け寄った。その横顔は、びっくりするほどに白くて……死と灰と骨を願う月の魔法が、そう、灰のように骨のようにラスを白く塗り替えていく。
「ごめんなさい……」
 ラス、ごめんなさい。私、あなたが信じてくれたような「希望」には、手が届きそうにないよ……
 下を向いたままの私に、妖魔の声は優しかった。
「もう、諦めたかね?」
 小さく、うなづいてしまった。
「では、月に魅入られるのだね……巫女姫、再び呪文を唱えるのだ。ラス殿の魂を苦しみから解放するのだよ。死は、苦しみではない。ラス殿の魂を骨の砂時計に変えれば、後で何度でも謝ることができる……」
 私は、ぼんやりと妖魔の言葉を聞いていた。
「そして、巫女姫を回廊を通じて呪詛満ちる世界へご案内しよう。母上とも会えるだけでない。あなたは、呪詛満ちる世界の転移門を守る巫女姫として、敬われることになるだろう」
 一抱えもある大きな砂時計に話しかけながら、たくさんある時間を持て余して過ごす。時々、気まぐれに回廊を開いて、どこか遠い世界へ遊びに行ったり……
 月が優しくて人を魅入る。その言葉の意味が少しだけ理解できたように感じた。でも……
  でも、そんなのやだよ……
  ラスが告白してくれたのに、私、ちゃんと返事もしてない。
  私、ラスが信じてくれたとおりの「沙加奈姫」になりたい。
「私、悪いけど、まだ、諦めない……」
 妖魔は、微かだけど、気持ちのいい微笑をしたように思う。

 私は、ラスの前に座ったまま、眠り続ける胸の上に、指で星をゆっくり描いた。ぼんやりと揺れる淡い星と、その向こうにいる横顔に話しかける。
「私、ラスのことが好き。知り合ってほんの少しだけど……どうして、こんなに愛されるのかも、よくわからないけど、でも、ラスのことが、すごく好き……だから、ラスを返して。ちゃんと、いっぱいお話するの。一緒にたくさん笑うの。そうしたら、もっと好きになれると思う……私、いっぱい背伸びして、ラスが信じてくれた希望になりたい」
 淡く揺らめいていた星が、眩しいほど急に輝いたと思う。

 気がついたとき、私は、ラスに抱き上げられていた。
 星の魔法は、ものすごく魔法力を使うの。私の中にある魔法力だけじゃ足りなくて、私は体力や生命力の一部も吸い取られてしまった。ラスは、とても心配そうだったけど、でも、大丈夫よ。
 そう、よくわからないけど、私は星の魔法を使うことができた。ラスは、無事だったの。それに呪詛世界への回廊も消し飛んでしまった。
「巫女姫、お見事でした……さあ、我と我が半身にも星の刻印を……我を、星の魔法で平伏し浄化するのだ」
 妖魔がいう。
 私は、ラスに降ろしてもらうと、ちょっと足元がふらついたけど、心配そうな視線に見送られて妖魔の元へ歩み寄った。妖魔は、私の足元にひざまづいた。
「我が、かつて沙羅様より授けられた月の刻印を、巫女姫の力で星の刻印に描き変えるのだ」
 私は、やっと、なぞなぞみたいな言葉の意味がわかった。ラスにしたように、妖魔の左肩、首筋近くにある月の刻印を、指で撫でて星に描き変えた。さらに、妖魔は足元にいる、そう、巨大な一角の魔鯨の背中にも……魔鯨の月の刻印は潮吹き穴のそばにあった。
 結構、疲れた。まるで期末試験が終わった直後みたいだよ。
「さあ、ご命令を……我と我が半身たる魔鯨は、この星の刻印がある限り、巫女姫の御使いとして……」
「じゃあ、名前を教えて。おばあちゃんの記憶を返して……そうしたら、ここから出て行って」
 長くなりそうな妖魔の言葉を、私は遮った。妖魔は困ったような苦笑いをした。
「我が名は、シャムシール……あまたの異世界に、数多くの魔術師や司祭に、この名を知られている」
 それから、妖魔はおばあちゃんの記憶を再び左手に取り出すと、蒼くゆらめく輝きを空へ放った。記憶の輝きは、すぐに病院にいるおばあちゃんの所へ帰ったと思う。
「出て行けとは、巫女姫にとって初めての御使いとなる我には、あんまりのお言葉だが……もとより長居をするつもりではない。我と我が半身は、混沌に満ちた亜空に住まう者……さあ、巫女姫、転移門を開き我と我が半身を亜空へ解き放つのだ」
 この笑い妖魔、少しも浄化されているようには見えなかった。それに、偉そうにいうけど、私に転移門を開いてもらわないと帰れないくせにね。
「風の扉を……」
 私は、三回目となる転移門を開く呪文を唱えた。相変わらず下手だけど、何とか風の扉が開いた。そう、初めてちゃんと開いた扉を開け放つと、柔らかい風が転移門の扉から溢れ出して来た。亜空には、風が流れているって聞いたことあるけど、本当だったみたい。
「これが遠い過去に、大母神ルールアが生み出した《初めての風》だ。いまも、時々はこうして亜空に名残が吹くことがある……この風に出会った者には、良いことがある」
 妖魔は、ラスに聞こえないように、私だけにささやいた。
「吉兆だ。巫女姫の初恋も、叶うかも知れない」
 ふいを突かれて、私は、頬を赤らめてしまった。でも、この風はすごく気持ち良かったの。何もかも上手く行きそう……そんな気分にしてくれる。
「では、そろそろ退散させてもらおう」
 最後は、とてもさわやかな微笑を残して、妖魔と漆黒の魔鯨は転移門の中へ消えて行った。

 すごく疲れてて……私は、妖魔を見送った後、そのまま倒れてしまった。
 気がつくと、宰相府にある私の部屋に寝かされていた。またも、夕食の準備ができていて、私は温かなスープの匂いで目が覚めた。
 ラスの膝の上に抱っこされて……まだ、ぼんやりとしていた私の口元に、ラスは、小さめのスプーンでスープを運んでくれた。私ね、うれしくって、ラスにすごく甘えちゃった。
 宰相様のラスは、今回の事件の後処理で忙しくて……それでも、たった一度だけだけど、看病に来てくれた。それがうれしかった。

 そう、おばあちゃんは、すっかり元通りになった。私のことを心配してくれて、看病にも来てくれた。私、疲れすぎてひっくり返っただけなのにね。
 でも、パスフレーズをスィア門の守人に教えたこともバレて……ちょっと視線が怖かったけど、今回は許してもらえた。

 やっと私の体調が戻ったのは、二日後だった。そうそう、やっかいなことを忘れている。
 追試よ、追試……全然、勉強してないよぉ……
 私は、慌てて魔法学院へ戻った。アズレイア門は、仮復旧の状態だったし、私が乱暴に扱って壊したエルゴ球は、接着テープでぐるぐる巻きにされていたけど、おばあちゃんの魔法は完璧だった。正確にスィア門の魔方陣に、私を届けてくれた。
 
 えっ?
 追試の結果は?
 それは、内緒。ラスにも、内緒だよ……

おしまい

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