転移門の守人 #4
ひとつめの物語~ #4 小箱の試し

 

 それからの大変なことといったら、想像を超えていた。
 アズレイア門を開くことでしか、おばあちゃんの記憶はもとに戻らない。
 たぶん、アズレイア門ごと妖魔らしきものを封印したときに、記憶までも何らかの原因で封印状態になってしまったの。
 だから、アズレイア門の封印を解いて、時空転移門の扉を開くしか、おばあちゃんを助け出す方法はないの。
 私は、もう決心するしかなかった。
 アズレイア門を開くことができるのは、おばあちゃんの血を受け継ぐ者しかできない。
 お母さんは、どこにいるか、わからないの……もし、手掛りかがあるとしたら、おばあちゃんが知っている。おばあちゃんは、記憶を封印されて自分が誰なのかも、わからないようなの。
 そう、これじゃあ、缶詰の中の缶切り。
 私しか、いない。
 だから、私、時空転移門の守人になることに決めたの。もちろん、おばあちゃんが元に戻るまでの臨時の代理役だけどね。

 でも、簡単じゃなかった。
「これがアズレイア門を表す魔法構造式です……事象の水平線境界面の大きさは、標準手順展開で内径六三セタリーブ、外径は……法令八十三の8のイに基づく展開手順上の第二ボーダーラインで発生するエルゴ球の操作は……」
 こんなの聞かされて眠くならない方が、頭がおかしいじゃないかと思う。
「エルゴ球の存在確率は、手順第七段階の3までは、発散臨界点を超えないように……沙加奈姫、聞いてますか?」
「はい」
 とりあえず答える。
「理解できてますか?」
 首を振った。とても、うなづいていい状況にない。
 
 とても優しい青年、ラスは、私に熱心に魔法理論を教えてくれた。さすが、二十三歳の若さで推薦を受けて宰相なんていう秀才は、頭の構造が違う。
「総括結界管理官を以前に少しですが、勤めたことがありますから」
「それって、年齢と計算が合わないよ」
「あ、そうですね、でも、学校なら飛び級で途中を端折ってますから」
 彼は微笑したが、私はため息をついた。
 いくら、アルトシア世界が小さくて、国がひとつしかなくて、だから、平和で争いごともないっていったって……私と九つしか違わない人が、政策担当者なんて反則だよ。
 あのね、アルトシア世界を治めているのは女王様なんだけど、実際の政策とか運営上の細かなことは、十二人いる大臣が分担しているの。それで、大臣をまとめている政策上の最高責任者というのが、彼なの。
 そうそう、私は彼のことを「ラス」と呼ぶことにした。代わりに、「姫」っていうのをやめてもらおうとしたの。
 でも、ラスはバカが付くほど真面目で、こんな風に呼び合うのは、慣れないみたい。
 それに……
 ラスは、今回の事故のこと、責任を感じているようなの。ラスのせいじゃないのに、私に悲しい思いをさせてしまったことに。

 結局、結界と回廊の魔法理論をちゃんと勉強しようという目論みは、三日目にして空中分解した。いくら重大案件だからって、私のことに掛かりきりになれる訳じゃないしね。
 それで、絶対に必要な事柄だけに絞って、丸暗記することにしたの。
「やっぱり、こんなにあるのね……」
 電話帳五冊分の解説書を勉強しなくてよくなった代わりに、単語帳一冊分はある分量の暗記をこなす羽目になった。これって、期末試験の範囲の全部よりも多いと思う。

 そして、アルトシア世界へ戻って一週間後に、とても大切な試験を受けることになったの。
 「小箱の試し」っていうんだけど、簡単にいうと魔法力の適正試験のようなものね。
 人が使える魔法は以前にも話したけど、火、水、風、地の四種類のどれかに属しているの。だから、私が時空転移門の守人としての能力を持っているとしたら、この四つのいずれかになるばず。
 学校で時々ある魔法の適正試験は、偏差値でどの種類の力にどれだけ適正があるかをしめすから、結果はさまざま。極端な場合には、総てに優秀と判定される秀才から、私みたいな特徴もなく平均的な適性の凡才までいる。努力次第で、適正試験の結果は結構、上下するしね。
 でも、時空転移門を開く能力は、完全な遺伝形質だから……守人の血筋にある人だけが、小箱を開くことができる。
 そして、どの小箱が開いたかで、どの種類の転移門と回廊を開く能力があるかが決まるの。
 たったひとつの小さな小箱だけど、守人が生涯にわたって数え切れない回数を開く時空転移門の初めのひとつだって、いわれているわ……なぜって、小さな小箱だけど、時空転移門と同じ魔法式で作られているの。
 おばあちゃんが、多くの人たちから尊敬されている理由のひとつが、小箱をふたつも開けてしまったから。きっと、みんな驚いたんだろうね。いまでも、おばあちゃんは、この話をしてくれる時は、嬉しそうだもの。

儀式用の特別な衣装は、宰相府付きの女官たちが用意してくれた。真っ白な絹でね、とっても、ややこしい衣装で手伝ってもらわないと、満足に身に着けられなかった。
 市街地を見下ろす丘にある神殿へは、象に乗って向かった。
 そう、象だよ。
 すごく大きな象の背中に籠が乗っていて、私はその籠に入ったの。ちゃんと屋根もあるし、大きな柔らかい椅子も用意されていた。
 天井から大きな白い布を掛けられる。
 ちょっとした天幕のようね。
 街の様子が見えないのは残念だったけど、ゆっさ、ゆっさと象が背中を揺らしながら歩くから、初めはびっくりしたよ。

 神殿に着いて、サンダルを用意されて床へ降りた。
 少し薄暗い神殿の中へ続く通路は、左右を騎士団が固めていた。

 儀式の間は、地下深く降りた所にあって、少しだけ肌寒い。
 司祭や、大勢集まっている立会人も、それぞれに特別な衣装を身にまとっていて、ここが、いま、特別な空間なんだと理解できた。

 儀式は、こうして始まったの。
「少女よ、箱を選びなさい」
 女王宮から遣わされた司祭様が、四つの小箱が並べられた前に跪いた私にいう。
 私は、もう、どの箱にするか決めていた。
「風を……」
 それは、風を現す古代文字が刻まれた古びた木箱だった。小箱というけど、大きさは私が両手で抱えられるほど。思ったよりも大きかった。
 司祭様から手渡された風の小箱を膝の上に乗せて、表面を撫でる。
 見た感じよりも遥かに軽くて、本当に空気のようだった。
 最初に風を選んだのは、おばあちゃんが一番に得意な魔法が風だから。
 だから、私はどうしても風の魔法が欲しかった。
 それに、時空転移門の中で風の扉が最も多いの。スィア門も風の扉だから、これがあれば、学校との往復も簡単になるはず。そう、カルアにも会いに行ける。
「お願い、風の小箱、開いて……」
 目をつぶって必死に心の中で、風の小箱を開くために念じた……

 どれくらい時間が過ぎただろうか?
 ついに司祭様は、風の小箱を返すようにいった。
 空気みたいに軽いのに、手を離せばふわふわと浮きそうなのに、どんなに願っても風の小箱は、ぴくりともしなかった。
 私に、風の扉を開く力はないと諦めるしかなかった。
 ふと、ラスの視線が気になった。
 宰相職にあっても、いまの彼は立会人のひとりに過ぎない。
 いたわるように、気遣わしい視線が背中から私を見つめていたの。私、そんなにしょんぼりして見えたのかな?
 でも、彼の視線は、もっと違う意味だったの……

「少女よ、箱を選びなさい」
 再び、司祭様の言葉で儀式は再開された。
「地を……」
 これも、おばあちゃんの魔法。それに、封印された状態のアズレイア門を開くには、風が使えない以上、もう、地の魔法しかなかった。
 風とは正反対に、ずっしりと重い地の小箱を膝の上に抱いた私は、再び、心の中で願った。

 小箱は、ひとつも開かなかった。
 地だけでなく、ひんやりとした水の小箱も、暖かな温もりのある火の小箱も……私は、ただ「開いて」と願うしかなかった。
 儀式の間に集められていた立会人も、予想外の事態に慌てたのだと思う。ざわめきが地下室に響いている。
  やはり、噂は本当だったのか……
 ささやく声でも、私は耳を塞いでうずくまりたかった。

 それは、私がおばあちゃんっ子になった理由……
 小さな頃に、たくさん泣いた思い出……
 ずっと、考えないように、忘れるようにして来たこと。
 私、お母さんの子供じゃないかも知れないの……

 お母さんは、いまどこにいるのかもわからない。
 お父さんは……どこか、遠い異世界から来た人。
 私は、自分がどこで生まれたのかも知らない。

 でも、物心つく前に、おばあちゃんに預けられて、それからは魔法学院に入学するまで、ずっとおばあちゃんとふたりで暮らしていた。
 おばあちゃんは、話してくれた……
 お母さんは、どこか、遠い異世界にいる。
 ある事情があって、異世界から一度だけやって来て、まだ小さかった私を預けに来たって……そう、私は、どこか知らない所で生まれ育って、幼い頃にここへ来たの。あのアズレイア門を通って……

 でも、私は……本当に、おばあちゃんの孫娘なの?
 何も、確かなものは、ない。
 ただ、おばあちゃんの口癖のように繰り返す「お話」を信じて来た。
 だって、信じなさいって……おばあちゃんがいうんだもの。

 ちっちゃかった頃は、時々、怖くて眠れなかった。あの時は、おばあちゃんがいた。
 でも、いまは……

 私は、再び、風の小箱を膝に抱きかかえた。
 もし、開くことができるとしたら、風の小箱しかないと思ったから。

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