転移門の守人 #5
ひとつめの物語~ #5 星の小箱

 

 気がつくと、儀式の間は静まり返っていた。
 どれくらい時間が過ぎたのか、わからない。
 たくさん集まって口々に何かを、ささやき合っていた人々は誰もいなくなっていた。代わりに、私のすすり泣きだけが意外なほど響いている。
 きっと、いつまで待っても箱が開かないことに、みんな気づいたのね。私が泣き出してしまったから、気まずくなったのかも知れない。
「少女よ、もう、風の小箱を返しなさい」
 司祭様だった。
「いやっ!」
 司祭様は、私が泣き止むのを待っていてくれたに違いない。でも、私は、取り上げられないように風の小箱を抱きすくめた。
「やだ、やだよ……私、こんなのやだ」
 風の小箱が涙で濡れていた。とても大切な魔法の箱なのに濡らしてしまっても、司祭様は咎めることなく、私を見守っていた。
「沙加奈姫、風の箱を返してください」
 私は息を呑んだ。
 ラスだった。
「沙加奈姫……」
「もう、姫さまって、呼ばないでっ!」
 ラスの言葉を遮った。叫んだつもりが、声が震えて泣き声になってしまう。
 そう、「小箱の試し」で私はひとつの箱も開くことが出来なかった。
 私は、時空転移門の守人になれない。
 そして、お母さんの子供でも、おばあちゃんの孫娘でもない。
 ずっと、幼い頃に気づいていたこと。
 ずっと、考えないようにしてたこと。
「ラス……ごめん・な・さい……」
 ちょっとだけ、友達になれたとおもったラスとも、これでお別れね。
 だって、私が巫女姫だから、宰相様のラスとこんな風に話せた。
 結果的にラスを騙してしまった……そんな気持ちで悲しかった。

 私は、抱いたままの風の小箱に耳を押し当てた。
「……何か、聞こえる……風の、音、みたい……」
「それは、太古に大母神ルールア様が生み出した《初めての風》です。総ての世界に等しく与えられた最初の風のひと吹きを、この箱が覚えているのです」
 ラスは、そう話してくれた。
 そう、時空転移門の守人が回廊を開けるのは、総ての世界が太古にひとつだった頃から等しく分かち合ってきた記憶を基にしているからって、聞いたことがある。
 私は、ようやく風の小箱を司祭様に返した。
「開いてみたかったな……」
 ぽつりと、つぶやいた声が白い息になって消えた。

 ふと、ラスが司祭様に何か合図をしたように感じた。
 司祭様は、ラスに微かにお辞儀すると、奥の間へ立ち去って行った。
「帰ろうか」
 やっと涙が止まった私は立ち上がって、思いがけず、よろめく。
 何時間も必死に願い続けたせいか、もう、ふらふらだったの。
 後ろからラスに抱き支えられた。
 息が止まりそうになる……
 ラスの腕が私の身体に回されて、微かに左胸に触れていた。
 どきどきしているのも、たぶん、気づかれたと思う。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
 慌てて離れようとした。
 でも……
 ラスの腕が私を逃さなかった。ぎゅっと、抱かれてしまう。
 そして、私の耳へ、後ろからラスがささやいた。息が感じられるほどに、近くで、少しだけ、いつもと違う声で……
「悲しい思いをさせて申し訳ありません。でも、これは、皆を欺くためなのです」
「えっ?」
「これから、本当の儀式をします。沙加奈姫、あとひとつだけ箱はあるのです」
 どういうこと?
 私には、ラスの言葉がわからなかった。

 ラスに案内されたのは、さらに地下へと下った先にある小さな部屋だった。
 先ほど退出したはずの司祭様は、ここで私たちが来るのを待っていた。
「よろしいので?」
 司祭様の声が、先ほどの儀式の間よりも重たく響く。
 ラスがうなづく。
「ラス……いったい、何を始めるつもりなの?」
 私には、まだ、何が始まろうとしているのか理解できなかった。
 ラスは、私の視線の中で困ったような表情になった。数瞬の戸惑いの後に、ようやくラスは微笑した。
「沙加奈姫、私は姫のことをずっと見てきました。もちろん、初めは、この世界の結界を管理する立場の者として……姫のお力はある意味で希望であり、ある意味で危険なのです……」
 ラスは、私が全く話を理解できていないことに気づいて、それでも微笑した。私を安心させるために。微笑の意味……それだけは、わかった。
「ペザの事件のことは、ご存知ですか?」
 私は、うなづいた。
「誰かが呪詛世界へ回廊を繋いじゃったって」
「そうです。呪詛世界へ何者かが月の回廊を開いたのです」
「月の……回廊……?」
 ぼんやりと聞き返した私に、ラスはうなづく。
「人が使える魔法は、四つではないのです……」
 司祭様が小さな銀色の小箱を、私へ差し出した。その箱には、星の印が刻まれていた。
「星の小箱です」
 小さな小箱だった。私でも両手なら包めるほどに小さい。
「アズレイア様がふたつの小箱を開いたように、ごくまれに四つの……火、水、風、地、以外の小箱を開く素質を持つ者が現れます」
「私が?」
 ラスは、再びうなづいた。
「あなたのお母様、沙羅様は、この小箱を開くことが出来ました。おそらく、あなたにも、お力が受け継がれているはずです」
「ラス、お母さんのこと、知っているの?」
 驚いて聞き返す。沙羅っていうの? お母さんの名前……おばあちゃんは、そんなことさえも教えてくれなかったのに。
 でも、ラスは、お母さんのことは話したくないみたい。辛そうに困った表情で視線を逸らしたの。わたしは、それ以上は聞かないことにした。おばあちゃんも、いつか、そんな目をしたことがあるの。
「妖魔の持つ月の魔法に抗する力は、同じく虚数魔法系に属する星の魔法をおいて他にありません」
「それが、私なの?」
 やっと、ラスの言葉が理解できた。
 アズレイア門に侵入を試みて封印された妖魔は、巨大な月の魔法力を使う。ふたつの魔法が使える、おばあちゃんですら封印がやっとだった。
 その妖魔から、アズレイア門と、おばあちゃんの記憶を取り返すには、火、水、風、地のいずれの魔法でも無理なの。
 難しいから私も上手く話せないけど……普通に使える四つの魔法は、実数魔法といって秩序に司られた魔法。虚数魔法というのは、混沌の魔法。もっと根源的な「深い」ところから力を得ている魔法らしいの。
「じゃあ、もし、私に星の魔法があれば、おばあちゃんを助けられるんだ」
 私は、星の小箱へ手を伸ばそうとした。でも、ラスがそれを遮る。
「沙加奈姫、その前にひとつだけ、私に約束をさせてくれませんか?」
「約束?」
 私は聞き返した。ラスの声は、少しだけ冷たい。
「私は、まだ、沙加奈姫に話さねばならないことを、いくつも隠しています。そして、きちんと話せる時が来るのは、もう少し先になります……」
 ラスの声が優しい声に戻った。
「だから、約束させてください。私は、いつも沙加奈姫の味方です……箱を開くことが出来ても、出来なくても……いつも、私は、あなたを守る側に立ちます」
 私は、困ってしまった。
 ラスは、秀才だからいいけど、私にはヒントが足りなさすぎて、ラスが何を心配してくれているのか、わからなかった。だから、微笑って見せた。
「ラス、難しいお話はなしにしよう。その代わりに……独りぼっちはいやだから、時々でいいから、私の傍にてくれると嬉しいな」
 小指を出すと、ラスは、くすりと笑った。
「約束だよ」
「はい、約束します」
 ラスと私は、ぎこちなくだけど小指を絡めた。

 星の小箱は、驚くほどに冷たかった。
「えっ?」
 手にしたとたん、まだ、何も念じていないのに、小さな小箱はゆっくりと開き始めた。
「やはり……そう、でしたか」
 微かに、司祭様がラスに何かささやいた。驚いている声だった。
「沙加奈姫、箱の中に小さな紙片があるはずです」
 ラスがいうとおり、箱の底に小さく折り畳まれた紙切れがある。
  星の小箱を開きし者よ。
  汝は、星と、火、水、風、地の回廊を結ぶ者である。
  月と対をなす星の力を誤らぬように願う。
 私は、驚いて何度も何度も読み返した。
 この文書は、大昔にこの小箱を作った偉い聖人様が作ったらしいけど……私、五つも、回廊が開けるようになるの?
「ただちに五つもの回廊を開けるわけではありませんが、沙加奈姫には、その素質があるということです」
「ほ、本当に?」
 私は、ただ、箱が開いたことが嬉しかった。
 でも、ラスと司祭様は、それだけではなかったみたい。
 詳しいことは、例によって話してくれないけど、何か深刻な表情をしていた。飛び跳ねたい。そんな弾んだ気持ちには、なれなかった。

 ラスは、お祝いの言葉をくれなかった。代わりに、とても厳しい視線で司祭様に何かを命じている。司祭様も、簡単には主張を譲ろうとしない。
 私から離れて小声で話すから、何をもめているのか、ちょっと想像できない。
「月の……小箱を、試さずに、本当によろしいのですか?」
 小声の議論に夢中のふたりに気づかれないように、ゆっくりと、歩み寄った。
 微かに、ラスと司祭様が話し合う声が聞こえた。
「あの、月の小箱って……?」
 ふたりとも、驚いた顔で私を見た。だって、内緒話を急に聞かれちゃったからね。
 私の問いに、司祭様が応えた。
「星の小箱を開いた者は、月の小箱の試しを受けるべきと定めがあります」
 司祭様はいい、小さな青色の箱を私に見せた。
 とても、きれいな小箱だった。深い湖の底のような水色をしていたの。
 私が、思わず手を伸ばすと……
「沙加奈姫、この箱には触れないで」
 ラスが割り込んで、月の小箱を取り上げた。
「ラス様、これは古よりの定めなのです」
 さすがに、温和な司祭様も、語気を荒らげている。
 そうなの。私に月の箱を開く力があるのか、ないのか? それを試すべきか、止めるべきか? ふたりはこのことで言い争っていたの。

 結局、この議論をラスが押し込んでしまった。
「女王様には、私から、ご説明申し上げる。月の小箱については、延期とする」
 まだ何かいいたそうな司祭様に、ラスは月の小箱を返して、ささやいた。
「これは、政策責任者としての判断です……貴殿の信仰とは、別次元の決定とお考え頂きたい……」
 ちょっと、びっくりした。だって、優しくて温和な、いかにも優等生のラスが、司祭様を黙らせてしまったんだもの。

 さらに、ラスは、司祭様に再度、風の小箱による試しの儀式を行うように命じた。
 正確には、すごく強く要請したのだけど……ラスの言葉は丁寧なくせに、有無をいわさぬ強さがあったの。
「本来なら儀式は一度だけだが、あなたは星の小箱を開いた。ゆえに、再度、儀式を執り行う。少女よ、風の小箱を……」
 私は、いわれるままに、もう一度、風の小箱を抱きあげた。
 そして、再び、願う。
 開いて、と……
 どんなに願っても、びくともしなかった風の小箱は、呆気なく開いた。
 星の小箱と同じく、総ての小箱の中には箱を開いた者へのメッセージが記されている。その文章も、私は以前に人から聞いて知っていた。なぜって、風の転移門の守人は、他にもたくさんいるからね。
  風の小箱を開きし者よ。
  汝は、風の回廊を結ぶ者である。
 私は、小さな紙片の言葉を読み上げて、やっと、溜め息をついた。
「おめでとうございます、沙加奈姫……少なくとも、これでアズレイア門を開くことが出来ます」
 ラスの言葉は、たくさんの不安の影を掻き消すように優しかった。
 私は、ほんの少し、潤んだ視界の中にいるラスに、「ありがとう」といってうなづいた。

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