転移門の守人 #7
ひとつめの物語~ #7 妖魔の呼び声

 

 飛竜を駆るラスの横顔は、宰相府にいる時よりもずっと、楽しそうだった。一番に速いと自慢したとおり、グルーオンはすごく速かった。護衛に付いて来た騎士団の飛竜を、平気で置き去りにしてしまうほどよ。
「結構、子供っぽいところもあるんだ」
 聞こえないように、わざと羽ばたきと風を切る音の中で、話しかけた。
「えっ? 何か、いいましたか?」
 さっき笑われたお返しとばかりに、意味ありげな仕草でくすくすと笑って見せる。
 一回くらいやり返したって、いいでしょ?
「宰相様、護衛の者たちをぶっちぎって、そんなに楽しいの?」
 ラスは、会心の笑みを見せてくれた。
「子供だぁ、ラスって……」
 私は、ラスに背中を預けて笑った。
 その時、何か、誰かの「声」が聞こえたような気がした。
 続いて、どくん……
 左胸が痛くなるような、不安な色をした動悸……
 ラスの手が私をぎゅっと抱いた。ラスも、私が感じた何かに気づいたらしい。
「ラスっ! 何か、来るよっ!」
 弾かれたように、前を指差した。
 よくわからないけど、何かが来ると感じたの。ちょうど、雲か霧のようで、真っ黒な感じで、しかも強暴な力のような……
「沙加奈姫、いったい何が……?」
 ラスは、必死に私が怯えている何かを探ろうとしていた。でも、私にしか感じられないみたい。
 グルーオンに警戒するように指示する。
 すぐに、置き去りにした騎士団の飛竜が追い付いて来た。
 ラスは、彼らにも前方に注意するように指示を出した。
 その間にも、私の中で不安が高鳴っていた。
「やっ、やだっ、来ないでっ!」
 思わずあげてしまった私の悲鳴が、合図だった。
 突然、真っ黒な雷が蒼穹を切り裂いた。
 きつく抱かれる。
 早口でラスが何かの呪文を唱えた。
 お腹に低く響く爆音が、通り過ぎていった。
「沙加奈姫……もう、大丈夫です」
 ラスの腕にしがみついていた私は、ようやく目を開けた。元通りの青い空が何事もなかったように広がっていた。でも、護衛の騎士団は、無事とはいかなかった。
「三騎も失うとは……」
 ラスの声が色を失っていた。
 そして、気づく。グルーオンごと守護魔法で紡ぎ出された結界に守られていることに……
 漆黒色の雷に焼き落とされた騎士たちを救助するために一部を残して、先を急ぐことにした。
「いまのは、月の魔法でした……アズレイア門へ送った砲兵隊が気になります。まさかと思いたいのですが……」

 でも、心配ごとは、的中してしまった。
 風車小屋がならぶ小高い丘を越えたとたん、目の前に呪文で紡ぎ出された光の輪が、乱れ飛んだ。
 金色の輝きが、最初は毛糸玉のような塊として空中に生み出されて……解れると同時に繋がりあいながら……複雑な符形に組み上げられてゆく……
 それが、とんでもなく強力な攻撃魔法と気づく瞬間に、白熱した火球に包まれた。
「きゃあっ!」
 一番にうるさかったのは、私の悲鳴だったかも知れない。
 またしても、ラスが唱えた守護魔法に救われた。
「いまの流れ弾は、間違いなく真銀の魔法球弾に込められた爆散火球呪文です!」
 ラスは、唇を噛んだ。
「命令があるまで、絶対に発砲しないよう、厳命してあったのですが……」
 アズレイア門を包囲している投石機部隊が、ラスの命令を守らずに、勝手に妖魔を攻撃していたの。

 そして、直後にアズレイア門から飛んで来た飛竜と合流した。
「申し上げます……妖魔は結界を突破しました。ただいま、砲兵隊と交戦中……」
 報告に進み出た騎士も、蒼ざめているみたいだった。
「なぜ、命令を無視した。撃つなと命じたはずだ!」
 いつも冷静なラスも、ついに声を荒らげた。
「申し訳ありません、妖魔の放つ負の魔力に、兵が浮き足立ってしまい……」
 つまりね、妖魔があまりにも負に満ちた魔法の波動を出しているから、砲兵隊の兵士たちが、恐怖に耐えられなくなって、真銀の砲弾を撃ってしまったらしいの。そうなると、もう、止められない。
「現在、砲兵隊各部隊との指揮系統は寸断されています。撤退もままならない状態です。これ以上、近づくことは危険です」
 護衛の騎士たちは、宰相であるラスに万が一のことがあってはと、引き止めた。
 もちろん、責任感が強いラスは、アズレイア門へ行くといって譲らない。
 私は、そんなやり取りを見ながら……再び、胸の中に不安が高鳴るのを感じていた。

 ふいに、誰かの「声」が私を呼んでいる……そんな気がしたの。
 漆黒色の雷が飛んで来る直前に感じた「声」と同じ低い声が、どこからか聞こえる。
  巫女姫……
 そう、誰かの「声」は、私を巫女姫と呼んでいる。
  よく参られた巫女姫……
  さあ、我を平伏し浄化せよ……
 低く地鳴りのような「声」がそう、意味のわからない言葉をくり返す。
「沙加奈姫っ! 沙加奈姫……」
 ラスが私の身体を揺すりながら、呼んでいた。やっと、現実に引き戻されても、まだ、低い「声」は続いている。
「どうされたのです」
 ラスの表情は心底、心配そうだった。私の気配に異常を感じて、慌てたらしいの。
「誰か、私を、呼んでいる……」
 そういって、私は金色の魔法の光が煌くアズレイア門の方向を指差した。

 私と、ラスと、護衛の騎士たちは、風車小屋のある丘へ降りて集まった。アズレイア門から、宰相府からと、後から遅れて人が集まった来たせいもあって、ここが臨時の対策本部になってしまった。
 テーブルを並べて、地図を広げて、ごく簡単なものだけど昼食も並んだ。私ができたことは、紅茶を入れることくらいだけどね。
 激しい議論だったけど、すぐに結論が出た。
 ラスは護衛の騎士たちの反対を押し切ってしまったの。
 そして、ラスは私に向き返った。
「沙加奈姫……」
「私も行くよ」
 ラスの言葉を遮っていう。私だけ、宰相府へ帰らせるつもりなのは、もうわかっていた。だから、先手を打って言葉を重ねる。
「アズレイア門には、私とおばあちゃんの家もあるんだよ。私の帰る所は、あそこしかないよ」
 たくさんの金色の光が乱舞するアズレイア門の方向を指差した。
「ラスが、手伝てっていったから、守ってくれるって約束してくれたから……私、決心したの」
 ずいぶんと悩んだに違いない一瞬の後に、ラスはうなづいた。そして、ささやいた。
「沙加奈姫が、星の小箱を開いたことは、この騎士団の者たちに対しても秘密です。アズレイア門を開く際には、風の魔法を使ってください」
 私は、小首を傾げた後に、考え直してうなづいた。
 どうやら、あの星と月の小箱のことを、皆からも、私からも隠しておきたいらしいの。
 ずっと、ラスが描いたシナリオの中で私は動いていた……薄々は気づいてたけどね。
 妖魔と砲兵隊が偶発的に戦い始めたなんていう予定外の出来事に、たぶん、彼の用意していただろうシナリオが破綻したのだと思う。
「慌しさのあまり、転移門の守人としての正式な認証式も祝宴もできないばかりか、充分な説明もなく秘密を求めるのは恐縮なのですが……」
「ううん、私、気にしてないよ」
 私は、細かい理由もこれ以上のお詫びもいらなかった。ラスは、一生懸命だから。信じようって、もう、決めたもの。

 そして、ごく簡単に打ち合せ……
 騎士隊が一斉に妖魔に攻撃を仕掛ける。
 その隙に、グルーオンでアズレイア門へ突入して、私が転移門を開く。
 でも、問題は山積みだった。
「エルゴ球が、どこにあるか、ご存知ですか?」
 ラスの問いに、私は首を振った。
 アズレイア門は、他の転移門とちょっと違うの。
 スィア門やアルトシア門は、神殿の中に作られた大理石の魔方陣だけど……アズレイア門は、広い草原の中に巨大な石を円環状に並べてあるだけなの。
 おばあちゃんは、職人気質なところがあって、こんな大昔の魔方陣を好んで使ってた。
 アズレイア門が特別な力を持っているのも、おばあちゃんの魔法力がすごいのと、この特大魔方陣のおかげね。
 それで、エルゴ球っていうのが、また、やっかいな魔法機械で……アズレイア門を使うための魔法符形を刻んだ真銀の球体なんだけど……どこにあるか、わからないの。
 じゃなくって、存在しているとも、存在しないとも……
 何ていったら、いいのかな……必死で暗記した解説書には「初期状態では、存在確率が発散臨界点付近にある」と書いてあったけど……
 えっと、幽霊みたいな感じっていうと一番近いかな?
 私が知っているパスフレーズを使って、魔法探知を細かく行えば、絶対に見つかるんだけど……魔法学院の校庭と同じくらい広いアズレイア門を、じっくり探すには、時間がなさすぎた。
「アズレイア様が転移門を開いていた手順を、細かく思い出してください」
 ラスにいわれて、考え込んだ。おばあちゃんってば、どうして、こんな手の込んだことが大好きなんだろう……エルゴ球のことを、「幽霊玉」って呼んだら、不機嫌になったおばあちゃんの横顔が思い浮かんだ。
「そうよっ! ここ……」
 ふいに、思い出して、アズレイア門の平面図を指差した。皆の視線が集まった。でも、自信があった。
「この噴水のそばに隠してあると思う。いつも、ここの空中から、ふわぁって、エルゴ球が出てきたはずだもの」
 そこは、私とおばあちゃんが住んでいた家の庭先だった。街から離れて暮らしていたから、小麦やトウモロコシはもちろん、野菜なんかも取れる畑がある。その家庭菜園の角っこに、なぜか小さな噴水があるの……小さい頃から見慣れていたから、別に不自然とは思わなかったけどね。
「おそらく、そこでしょう……」
 ラスも、この噴水が怪しいと思ったらしく、私の言葉に賛成してくれた。
 あとは、ラスが仕切ってすぐに決まった。

 もしかしたら、妖魔に負けて死んじゃうかも知れないのに、昼食はいつもと変わらずに美味しかった。宰相府には腕のいい料理人がいるみたい。お弁当まで美味しいもの。
 大変な時だから、慌しく頬張って詰めこんだのは残念だったけどね。
 ごちそうさまの次は、飛竜グルーオンで飛び立つ。
 囮役になってくれる騎士たちの飛竜は、目立つように高く飛んだ。本命の私たちとグルーオンは草原の草丈の高さを飛ぶ。
 アズレイア門の破壊の有り様が視界に飛び込んで来た。
 見覚えのある巨石が、砕けたり折れたりして、草原の中に吹き飛ばされていた。確か、アズレイア門の魔方陣の外周部分にあったはず……スィア門で聞いた重大事故が、こんな爆発だったなんて……

 妖魔は、すごく大きな「何か」だった。漆黒色の塊がゆらゆらと揺れていた。たぶん、月の魔法属性の防御障壁を張り巡らしているから、正体がわからないんだと思う。
 そして、わかっていたことだけど、見るのはつらかったことも。
「私とおばあちゃんの家……」
 魔法学院へ留学するまで住んでいた家は、赤い屋根を破片に貫かれて、無残に半壊していた。思わず、顔を被ってしまいたくなる。
 ラスの腕が私をいたわるように抱いた。
 赤く熟したトマトが揺れる畑を横切る。
 泣いてる場合じゃない。
「ラス、私をだっこっしてて……ぎゅっとだよっ!」
 風を切る音に負けないように叫んだ。
 鞍の上に立って、身を乗り出した。
 噴水の中で、何かが揺らめいているような気がした。

 頭から噴水の水を浴びた私は、子犬のように首を振って飛沫を飛ばした。思ったよりも、ずっと冷たくって風邪をひきそう。
「沙加奈姫、エルゴ球は?」
 ラスが問う。私は、腕の中にある蜃気楼のような揺らぎを見せた。
「急いでください。妖魔に気づかれます。陽動役の騎士たちは長くは持ちません」
 ラスがいったとたんに、漆黒色の雷がグルーオンをかすめた。
「魔方陣から、出ないでっ!」
 グルーオンが不満そうに鳴いた。
 そう、アズレイア門の魔方陣から外へ出ちゃうと、せっかく捕まえたエルゴ球は、どこかへ行っちゃうの。おばあちゃんの転移門の管理は、お節介なほどに徹底している。
 いくらアズレイア門が大きいといっても……真中にどでかい妖魔が居座っているし、砲兵隊の攻撃魔法は止むことなく飛び込んで来るし、そのうえ、妖魔も暴れ出した。
 グルーオンも、操るラスも、狭い範囲をぐるぐると飛びながら、攻撃を避け続けた。
「起きなさい、エルゴ球……我、沙加奈、アズレイアの名を継ぐ汝の第二位の主……」
 そして、私のパスフレーズをささやく。
 エルゴ球が実体化した。同時に、金色の魔法符形が円環状に弾かれたように空中へ広がる。これも、スィア門で聞いて知っていたことだけど……幾重にも重なって連なった符形のあちらこちらが壊れて欠けている。
「風の扉を……」
 口にしたとたん、エルゴ球に拒否された。
  第一位支配者より、非常封印、指示あり
  全回廊封鎖中……
「沙加奈の名において命ず……封印指示を解除」
 暗記した手順を何とか思い出しながら、おばあちゃんが出した封印の命令を解除しようとした。
 ところが、「拒否、下位の命令者には従えません」って、魔法機械のくせに偉そうに……
 でも大丈夫。すぐそこに、もっと偉い人がいるわ。
「ラス、この子、大人しくさせてっ!」
 拒否を繰り返す魔法機械を両手で頭の上へかざして、ラスに見せる。
「我、アルトシア世界を守護せしめる結界を統御する者、ラスカンパーリアの血筋にある者、故に命ず……沙加奈の名のもとに汝は従え」
 ラスが唱えると、呆気ないほど簡単にエルゴ球は、屈服した。

 さあ、これからが大変よ。私が最も苦手とする魔法式の展開を、こんな状態でしなきゃいけない。
 エルゴ球を膝の上に乗せて、私の周りを取り巻くように展開した魔法符形を見回す。ちょうど、ぜんまい式の時計の歯車のように、金色の古代文字で描かれた複雑極まりない円環魔方陣が回っている。
 これが、いま現在のアズレイア門の時空間をあらわしているの。
 おばあちゃんは、こんな複雑な魔法式を、いつも涼しい顔でいじっていた。
 でも、私にとっては、いったいどこから手を付けていいのやら……追試になった基礎符形解析の方が何倍も簡単だった。
「えっとぉ、風の魔法属性の扉を展開だから……第三環へ、他の構造式を掛けて収束させればいいんだよね……」
 これは、一種の連立方程式なんだけど……アズレイア門だけでも大変なのに、今回は魔方陣の真ん中に妖魔が居座っているから、その妖魔の影響も考慮しないといけない。
 月の魔法属性の項は、思ったとおりに複雑怪奇な虚数項の塊で、習ったことのない符号が並んでいる。
「いったん、月の魔法虚数項を第七環の周転円へ移してから……実数項だけを先に収束させてください」
 私が困り切っているのを見かねて、ラスが声をかけた。やっぱり、秀才は頭の構造が違うらしい。
「沙加奈姫、ですが……魔法式の中には姫にしか見えない項があるはずです」
 そう、転移門の守人である私にしか見えない部分があって、そこをラスが手伝うことはできない。
 それに……
 また、あの低い「声」がした。
  巫女姫よ、我を平伏し浄化せよ
 肩越しに振り返って妖魔を見た。真っ黒な巨大な塊が揺らめいている。騎士たちの攻撃魔法にも、砲兵隊の集中攻撃にもまるで平気なようだった。
 あなたなの?
 私は、「声」に応えた。
  いかにも……我は、呪詛満ちる世界より遣われし者……
 呪詛世界と聞いて私は、慄然とした。ラスが心配したとおり、この妖魔は戦うには危険すぎる。やっぱり、私が何とかしてアズレイア門を開いて、この妖魔を亜空間へ放り出すしかないよ。
 だが、妖魔は意味のわからない言葉を続けた。
  巫女姫、望むべき未来は、我を平伏し浄化するをおいて他にない。
  さもなくば、月に魅入られることになる……
  汝が母上、沙羅様のように……
 私は、魔法式をいじり回していた手を止めた。
 それは、秘密のしっぽだった。
 ふいに、忘れていたはずの小さな子供の頃のことを思い出した。
 たぶん、私が五歳か六歳くらいの頃のことだと思う。あの夕暮れ、おばあちゃんは誰かと激しく口論していた。
「沙羅は、月に魅入られた……娘は、守人の血筋にありながら……呪詛世界の在り処を知っている……」
 奥の部屋でじっとしているように、おばあちゃんにいわれた。でも、気になってドアの後ろに隠れて、聞いてしまった言葉は、難しくて……
 難しくてわからない言葉。怒鳴ったり、声をひそめたりする奇妙な口論。いい争う大人たちの姿は、小さかった私には、難しくて……でも、不安だった。
 でも……
 いまも変わらない。難しくて、不安な色をした言葉は、全部、私から隠されているから。
 ラスには、妖魔の「声」は聞こえないらしい。その横顔は、必死に飛竜を操っていた。

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