転移門の守人 #8
ひとつめの物語~ #8 決戦

 

 突然、「声」は複雑な呪文を操り始めた。
 そして……
「ラス、妖魔が撃ってくるっ!」
 私が叫ぶのと同時に、妖魔から眩しい青紫色の光球がいくつも撃ち出された。その総てがグルーオンと私たちを標的にしていた。
 地の守護魔法が展開される。私の腰に回されたラスの腕がぎゅっとなる。
 轟音と輝く光の乱舞が、飛竜グルーオンごと私を掻き回す。
  やるではないか、よく今のを防いだな……
  だが、面白いのはこれからだ。
 すごく意地悪な様子で、私だけに聞こえる「声」がいう。
「なんて強力な妖魔だ……沙加奈姫、転移門を早く……」
 いつも涼しい顔のラスも、今の集中攻撃を防いだのが精一杯だった。肩で息をしている。私が落ちないように抱いているから、ラスは両手を使えない。それに、街が消し飛んでしまうほどの攻撃魔法を完全に防ぎきれるなんて、すごいことよ。
 やりかけの魔法式に手を戻すや、再び、妖魔は先ほどを上回る攻撃魔法を繰り出して来た。
 グルーオンが必死に翼を翻して、空を横薙ぎにする青白い光芒をかわす。
 魔方陣の空域から出られない以上、逃げきれなかった。
「ラスカンパーリアの血を継ぐ者として請う、あらん限りの地霊よ、我と我が守るべき者を守護せよ」
 ラスが守護魔法を唱えた。
 この状態で使える最も高位な守護魔法だった。宰相家の名をもって地霊に力を求めたこの呪文は、アルトシア世界の結界統括者でもあるラスにとっても、たぶん最後の切り札だと思う。
 妖魔が放つ光の束が次々と弾かれて蒼穹へ飛び去って行く。でも、妖魔の攻撃呪文には、驚いたことに、まだ次があったの。
 今度は、白銀色の光弾が数え切れないほど無数にばら撒かれた。
「結界破砕呪文かっ!」
 妖魔の攻撃が何なのか、気づいたラスには、もう、防御手段が残ってなかった。
 私は、ラスの腕の中にきつく抱きすくめられた……
  ごうん、ごうん……
 白銀の輝きに包まれた。今までと違う轟音……ラスの守護魔法が、壊されてしまう音……
 グルーオンが、ぎゃっと、悲鳴をあげた。翼を攻撃魔法が貫いた。急に羽ばたきが小さくなり、高度が落ちる。
  誉めてやろう。なかなかの実力だ……かつて我々に歯向かっただけのことはある。
  しかし、地の魔法使いはつらいのお……
  守ることしか、できないとはな……
 相変わらずの憎ったらしい「声」が笑う。
  邪魔しないでよっ!
  魔法式の計算がやりにくいったら……
 私は、心の中で「声」にいい返した。魔法式を何とか収束解に持ち込んで、転移門を開くしか、こいつをやっつける方法はない。
 妖魔が攻撃魔法を撃ったり、妙な言葉を話しかけて来たりするのは、時間稼ぎのためだと……この時は思った。

 不思議なことに、妖魔の攻撃が弱くなった。信じられないけど、私の言葉に応えて、手加減しているらしいの。どうして? って考える余裕はない。今すぐ全部の魔法の環と、ぐちゃぐちゃ群れている実数項と、すっごい目障りな月の魔法虚数項を収束させないと……

 どれくらい時間がかかっただろう。知恵熱が出そうになった頃、ようやく魔法式がそれらしい形になった。
「遅くなって、ごめんなさい……」
 ラスの視線は、一応は形になっている魔法式を見回した。ラスの目には全部が見えるわけじゃないし、検算してもらう時間もない。
「月の魔法虚数解が、六次元の行列のままは気になりますが、スカラー量へ変換する時間はなさそうです……これで、行きましょう」

 転移門を開くための最後の部分へ、手順を進めた。
 かなり無理をさせているせいで、膝の上に乗せたエルゴ球が、そろそろ心配になって来た。真銀で造られた球体だけど無限に魔法力に対する容量があるわけじゃない。ときどき、ぴしっ……って、ひび割れるような音を立て始めているの。
 グルーオンの方もかなりつらそう。破れかけた翼で一生懸命に羽ばたいている。
 絶対、成功させなくっちゃ……
「我、沙加奈……時空転移門の守人たる者……」
 ラスはグルーオンを駆って、私の呪文にあわせて魔方陣の中央へ飛ぶ。私の魔法力が小さいから、転移門の扉を開くような大きな魔法を成功させるには、できる限り魔方陣の中心に近い方がいいの。
 でも、魔方陣の中心には、強暴で意地悪な妖魔が居座ったままだった。
 傷ついた飛竜は必死に羽ばたいて、いったん空の高い所へ昇った。
 ここから、真下にいる妖魔めがけて、逆さ落としに急降下するの。
 そうすれば、狙われにくい。
「沙加奈姫、落ち着いて……大丈夫、私は、信じています」
 私は、エルゴ球を両手で抱いたまま、固まってしまいそうだった。こんな危険な賭けをしようっていうのに、ラスは優しかった。
「……アズレイア門へ命ず、何処とも回廊を繋がず、ただ亜空への扉だけを我の求めに従い……」
 妖魔が間近になった時だった。
 漆黒の防御障壁が薄らぐ。
「魔鯨……一角の漆黒獣か?」
 ラスの声が微かに震えていた。妖魔の正体は、大きな角を生やした巨大な鯨だったの。
  巫女姫、転移門を開くこと、叶わぬ……
  アズレイア殿の記憶、我が手にある……
 誰かが……目を凝らすと、真っ黒な衣装を身にまとった老人が、魔鯨の背中に立っている。そして……その左手に青白い炎が揺らめいていた。
「おばあちゃんっ!」
 目にしたとたん、それが、おばあちゃんの記憶だとわかる。感じるというよりも、確信に近いかな。下手くそでも私だって魔法を使えるんだから、そんな感覚がある。
「……我の言葉に従い、亜空への扉を……」
 呪文を完成させることができなかった。髪を振り乱すように、激しく首を振った。
 できないよっ!
 今、転移門の扉を開いたら、おばあちゃんの記憶まで、亜空間へ吹き飛ばしてしまう。そうしたら、もう、おばあちゃんは、元に戻らない。
 地面にぶつかる寸前で、叩きつけるように羽ばたいて、グルーオンは何とか身体を引き起こした。
「沙加奈姫、何が……?」
 ラスが問う。ラスには、妖魔の「声」は聞こえていない。
「妖魔が、おばあちゃんの記憶を人質にしているのっ!」
 泣きそうな声で叫んだ。
 そのとき、ラスよりも早く妖魔の「声」が割り込んだ。
  巫女姫、これより、儀式を始める……
 抜けるような青空が、いきなり漆黒の闇に包まれた……妖魔が身にまとっていた漆黒の障壁を、爆発したような勢いで周囲へ広げたの。
 地上を見下ろす。妖魔を攻撃し続けることで辛うじて持ちこたえていた砲兵隊が、先を争うように逃げ出している。
「限界です、沙加奈姫、いったん、引きましょう……」
 グルーオンが翼を翻したときだった。狙いすました真っ黒な雷が私たちを襲った。
「きゃっ!」
 弾き飛ばされた。私は、エルゴ球を両手で抱いたまま、空中に投げ出されていた。薄れる意識の片隅で、必死に腕を伸ばして私を求めるラスの声がしたような気がした。

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