生まれる前の沙の夢 #1
生まれる前の沙の夢 #1 ~沙の時間の夢

 

 風の音がした。

  ここ、どこ……?
 つぶやいた私の声が、古びた音楽室に微かに響いた。
 セピアに色あせた楽譜を乗せたままのピアノは、鍵盤を叩いても音が出なかった。
 何かに呼ばれたような気がして……振り向くと、淡い水色の砂の山が、なぜか、音楽室の片隅にわだかまっていた。
 それは……不思議な砂の山だった。良く見ると、淡い白や、淡い赤色が入り混じった感じで、それを薄っすらと水色の砂が包んでいるの。
 何、これ?
 小さな輝きが砂の中に埋もれているのに気づいた。指でそっと砂を掻くと、それは、とても繊細に形作られた真銀のペンダントだった。
 微かに小首を傾げる。
 透き通るような青色の石が、瑞々しい輝きに濡れていた。たぶん、魔法石だと思う。初めて見る種類の石だけど、何となく、守護の力を微かに宿している……そんな気がした。だから、私は、そのペンダントを、砂の山に戻した。

 風の音がした。
 窓ガラスが埃で曇っていて、良く見えない。
 掛け金を外して、窓を開いた。
 そして、私は思わず声を漏らした……

 石造りの街が、地平線の先へ整然と広がっていた。
 でも、誰の気配もなかった。
 風の音が、時々、通りすぎるだけで……ものすごく静かなの。
 目を凝らすと、枯れた街路樹のそばに、砂の山がいくつも並んでいた。
 ううん……もっと、たくさんあるの。
 私が今いる校舎の三階から見渡せる範囲でも、学校の正門の周りに、たくさんあって……校庭にも、いろいろな色の砂が同じような感じで山になっている。学校の外にだって……近くのバザールみたいな場所に、公園に、少し離れた大通りにも、同じ砂の山がたくさん連なっているわ。

 音楽室から出ようとしたとたん、また、何かに呼ばれた気がした。振り返ると、やっぱり、最初に見つけた水色の砂の山だった。他の砂の山と比べて、ちょっと小さい感じがするけど……でも、私を呼んでいる。
 そして、あの真銀のペンダントに填まった青い石が、ちらちらと輝いていて……
 歩み寄って、ペンダントを砂の中から拾い上げた。
「これを、持って行けっていうの?」
 もちろん、誰も答えない。でも、何となく、そんな気がした。
「じゃあ、ありがとう……もらうね」
 スカートのポケットにペンダントを押し込んだ。


 音楽室を出て、階段を降りてゆく。
 ここは、たぶん、音楽学校みたいだった。途中でいくつか教室をのぞいたけど、どこにも、楽器が置かれていた。ピアノだけじゃなくって……窓辺にハープが置かれていたり、バイオリンがずらりと壁際に並んでいたり、大きなチェロがぽつんと残された部屋もあったわ。
 初夏の音楽祭の案内板を見つけたから、私は音楽講堂へ行ってみることにした。
 校舎から音楽講堂へ続く中二階の回廊で、私は、再び声を漏らした。
 大理石張りの床に、私よりも大きな巻貝の化石が封じ込められていた。
 そして、大理石の床に何か文字が彫られている。私は、しゃがみ込んで、手で細かな砂埃を払った。
「えっとお……《石の都……レアルティア音楽学院……太古より紡ぎし風の音と、地の鼓動とを奏でる……》 う~ん、難しくってわかんないよぉ」
 飾り言葉がいっぱいついた古代文字の文章は、難しすぎて私には、良くわからなかった。

 それから、この大理石の回廊の片隅にも、茶色い砂の山を見つけた。今度は、銀色の懐中時計が埋もれていた。
 さらに、音楽講堂への階段にも砂の山があったの。こちらは、紅巻貝の殻を抜いて作った万年筆が転がっていた。
「何なの? ここは……?」
 舞台袖には出番を待つ楽器たちが集められていたけど、ここにも、やっぱり砂の山があるの。私は、足元に落ちている楽譜を拾って見た。ちょっと、眺めてから足元を見まわして、楽器を探す。バイオリンを見つけたけど、弓がぼろぼろで、弦に触れただけで、ぷっつりと切れてしまう。
 そうなの。ここにある楽器は、どれも高価そうなものばかりだけど、どれもひどく痛んでいた。まるで、静寂の呪文をかけられているかのように、音色を奏でることを禁じられているかのように……

 砂埃だらけの階段を昇って、舞台にあがった。
 そして、息を呑む。
 美しい銀色のパイプオルガンが、音楽講堂の大屋根に向けてそびえている。
 すべての音色を真銀製のパイプで奏でるように造られた、数多くの異世界のどこにもない、ここにしかないパイプオルガンだった。
 微かに、私の中で疑問符が回る。
  わたし、ここがどこなのか? その答えを知っているの?
 大木のように立ち並ぶ低音部のパイプは、微かに蒼色をした透き通った銀色をしていた。

 そして、ふと、何かの気配に気づいて……客席を振り返る。
  きゃっ……
 思わずあげた悲鳴は、びっくりするほど高く音楽講堂に響いた。
 客席は、おびただしい数の砂の山に埋め尽くされていた……

◇   ◇

  グッピーっ! 起きて、遅刻しちゃうよ……

 振り起こされて、むっくりと身体を起こした。ぼさぼさになった髪を指で掻きあげる……
「ここ、どこ……いま、何時……?」
 まだ、夢の途中のまま、私の頭は、ぼんやりしている。
「もぉ、グッピー、寝すぎだよ……」
 舌たらずな声が降ってくる。
「わかってるよぉ……カルア、朝から耳元で喚かないで……」
「わかってないよ、だって、もう、八時すぎてるよぉ」
  へっ?
 私の中の疑問符が、感嘆符に変わった。
  朝食は?
「グッピー、急いで着替えて、走らないと遅刻するよ……朝抜きだけど……」
  あちゃあ……やっちゃったよ。
 私は、頭を抱えた。
 このところ、変な夢ばっかり見るの。砂ばっかりの誰もいない音楽学校の中を、迷子みたいにうろうろ歩き回る夢よ。お陰で、ちゃんと眠れてないみたいで、寝不足気味なの。
「グッピー、独り言は後でいいから、支度してよぉ」
 えっとね、さっきから、私のことを「グッピー」って呼んでいるのが、親友のカルア。魔法学院に入学してから、ずっと、女子寮で一緒の部屋なの。
 それでね、ここは、ミ・デュアルア魔法学院の南の端にある女子寮の私とカルアの部屋。二人とも、中等部の二年生で、成績も……二人揃って、赤点を取ってる……
「もぉ、早く早く……」
「えっ……ちょっと、待ってよ……」
 私は、まだ、眠たかった。私、貧血気味だし、低血圧だから、朝はつらいの。
 それなのに……カルアが、ちょっと意地悪な笑みを揺らした。何か、悪戯を思いついたらしい。
 カルアが、私の耳元で、ささやく。
「沙加奈・イア・アズレイアさん、今度、遅刻したら……補習を受けてもらいますよ」
 お願いだから、教頭先生の口調で、私のフルネームを呼ぶのは、やめて……

 カルアったら、待ってくれなかった。そりゃあ、今度、遅刻したら、二人揃って補習だったけどね。
 結局、私だけ、五回目の遅刻。
 朝食抜きで、きゅるきゅる鳴くお腹を抱えたまま、教頭先生に怒られて……もお、散々だった。
 でもね、これは、大変な一日のほんの始まりだったの……

火曜日の午後、五時間目の基礎符形解析の時間は、いつも、すごく眠くなる……まるで催眠呪文よりもタチの悪い薬か、何かを嗅いだみたいに……
 そして、また、あの夢をみたの……

◇   ◇

 夢の内容は、いつもと同じだった。ピアノある音楽室から始まって、音楽学校の中をうろうろ……でも、少しだけ違った。あの音楽講堂に着いても、目が覚めなかった。
 ううん、そうじゃなくって……良く考えて、先週からくり返し見た夢の内容を思い出して見ると、だんだん、夢を見る時間が延びている気がするの……そうね、あの砂の夢を見るたびに、夢の中にいられる時間が長くなっているようなの。

 その時だった。
 砂に埋もれた客席の向こう側、ドアの所に誰かいた。一瞬だけ、ドアを隠すカーテンの陰に人の気配がして……にやりって、微笑して……私が気づくと、途端に走り去った。
 誰もいないって思ってた砂の夢の中に、別の誰かがいて、私を見てた。
  どうしようか?
 戸惑ったけど、他に何も当てはないから……わたしは、舞台から客席に飛び降りた。
 奇妙な砂の山が無数に並ぶ客席を、スカートを翻しながら走った。
 ただ、静寂だけに包まれた音楽講堂に、私の靴音が意外なほど高く響く。誰もいないはずなのに、たくさんの気配みたいなものを感じたの。私は、怖くなってしまった。
 深く眠っていた「何か」の気配たちが、私の靴音に気づいて、一斉に目覚めたかのように……
 上手くは、いえないけど、私だって、魔法を使えるんだから、そんな感覚があるの。

 重たいドアを体重を乗せて押し開いた。
 そこは、もう、朱色に染まった世界……驚くほどに鮮やかな朱色の夕暮れだった。

 見まわす。
 見つけた……校門の近く銀杏の陰に、背の高いシルエットが不器用に隠れて、こっちを見ている。
 私が駆け出すと、ノッポのシルエットも逃げ出した。

 ノッポは、漆黒の衣装を身にまとっていた。とても裾が長いコートで、黒猫の毛並みのように艶やかな生地に、良く見ると金糸や銀糸で複雑な文様が刺繍されているの。
 校門をくぐった。
 そのまま、バザールでにぎわう市街へ向かって駆け出した。
 わたし、駆けっこなら自信があるわ。
 絶対、捕まえて、問い詰めてやるって、思ったの……それにね、あのノッポの黒服姿を、どこかで見た覚えがあった。どこで会ったのか、すぐに思い出せなかったけど。
 そして、たぶん、私が、どうして砂の夢を見るのか? その理由を知っていて……わざとらしく、私の前に現れた。
 私と鬼ゴッコをするつもりでいるに違いないって、思ったの……


 色鮮やかな果物が山盛りに、異国の衣装がハンガーに吊るされ、不可思議な魔法器具が並べられた……バザールは、無数の売り物で溢れ返っていた。でも、歩くにも戸惑うほどの砂の山があるばかりで、誰もいない。お客も、店番をする売り子さえもね。
 ノッポのシルエットを見失わないように、必死になって追いかけた。
 一度だけ、砂の山につまづいた。
「ごめんなさいっ……」
 まるで、繁華街で誰かにぶつかったみたいに、なぜか、謝ってしまった。
 砂の山には、アルトシア世界で使う銀貨が紛れていた。
 なぜ……まるで、アルトシア世界から来た商人であるかのように……この砂の山は、見覚えのある銀貨を持っているの?
 でも、私は、疑問をすぐに振り払った。考えてる暇はないもの……ノッポを追いかけなきゃ……

 ノッポは、バザールの天幕を抜けて、大きな石造りの建物に消えた。
 すぐに、私もドアをくぐった。


 たくさんの油彩画が並ぶ回廊だった。
 背丈よりもずっと高い窓を見上げた。ステンドグラスを抜けた光が、薄暗く回廊を照らしていた。
「ちょっと、どこ、行ったのよ」
 私の声に応えるように、大理石の階段を駆け下りる靴音が、階下に響いた。
 手摺から身を乗り出して下を見る。まるで、オウム貝のような渦巻きに、螺旋階段が続いていた。その途中に、あのノッポがいた。
「もお、待ってよ」
 ちょっと、びっくりした……ノッポが私の声に振り向いた。視線が合ったと、思う……たぶんね……だって、ノッポは、金色に輝く怪しげな仮面をしていたの。

 どうしよう、追いつけないよ……
 つぶやいた途端、ひらめいた。
 ずっと、ずっと、下の方に吸い込まれるみたいに、螺旋階段が続いていた。
  これって、絶対に夢だよね……
 間違いないはずだけど、一応は、心の中で確認した。
 そお、現実なら、絶対に怖くてしないことを、試してみようってね……
 スカートを気にしながらだけど、脚を振り上げて、手摺をまたいだ。
 さあ、一気に追い抜いてやるわ。

 私の行動は、完全に予想外だったに違いない。抜き去った瞬間、ぎょっとした感じだった。もちろん、ノッポの顔は、仮面でわからないけどね。

 きれいに磨かれた大理石の手摺を、おしりの下にまたいで、一気に滑り降りたの……ぐるんぐるん螺旋階段を滑り降りた。ものすごくスピードが出た。最後はね、なんと、くるんと一回転して着地。
  ……やっぱり、これは、夢だと思う。
 すぐにノッポが走り降りて来た。この人、すごく速い。
 私は、夢のついでだから、攻撃魔法でお出迎えと決めた。
 右手の人差し指で、呪文を唱えながら、逆三角形を宙に描く。紅い光で揺らめく符形を次々と描き足して……現実なら、絶対に失敗しちゃうような難しい魔法を完成させた。
「動かないでっ!」
 私は、《メルディズグの煉獄矢》の魔法符形に右手を添えたまま、ノッポを威嚇した。慣れないことをしてるって、思う。夢の中だってのに、頬が赤くなるし、声もうわずってた。
 ノッポは、ぴたりと立ちすくんだ。
 少しだけ、いい気分ね。
 そのまま、しばらくにらみ合う。先に、口を開いたのは、ノッポだった。
「巫女姫、砂の夢へ、ようこそ……」
 ノッポは、大げさな仕草で、一礼した。
「砂の……夢……?」
 私が聞き返すと、ノッポは、うなづいた。
 

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