生まれる前の沙の夢 #10
生まれる前の沙の夢 #10 ~呪詛世界の皇女

 どれくらい時間が経っただろう。
 もう、日が落ちてしまったみたいで、夕闇よりも暗い。松明の炎が、荒れ果てたペザ門の魔方陣を照らし出している。
 魔方陣には何人か人の気配がした。もちろん、呪詛世界の妖魔たちだろうけど。
 そして、私は、柑橘系の甘い匂いに抱かれて、ぼんやりとしたままだった。

 近くで話し声がした。
 目蓋を開けるのも億劫なほど、身体から力が抜けていて、すぐ近くに気配がするのに、きちんと確かめられなかった。
 だから、薄らいだ意識の中で、その話し声を聞いたの……もしかしたら、夢だったかも知れないけど。

「申し上げます。ペザ王宮並びに主だった貴族の館は、すでに焼け落ちております」
「あの人たちは……?」
 つぶやくように涼やかな女の人の声が尋ねる。
「ご安心を……ギルティア様を陥れた者どもは、ペザ王室、元老院議員、大司教に至るまで残らず、死と砂と骨の呪いにかかり骸と化しております」
 報告する声は、どこか、うれしそう。こんな恐ろしい言葉をとても楽しげに話しているの。何となくだけど……クレッセントに話す雰囲気が似てる気がしたけどね。
「そう……」
 女の人の声は、そっけない。
「あの魔道師は?」
「残念ながら……」
「見落としている可能性はあるの?」
「いえ、あの魔道師が携える星魔法の杖は、どこにあっても目立ちます。ペザ世界の内にあれば、我ら月魔法に属する者が気づかぬはずはありません。おそらくは……」
「アルトシア門ですね……」
「おそらく間違いないでしょう……騎士を送り込んできたことといい、アルトシア世界は確実にペザ崩壊を予期した動きをしています。我らが送った警告書を危険視したのでしょう」

 後でラスから聞いたことだけど……ペザ崩壊を予告する匿名の通信文が、あちらこちらの時空転移門に送り付けられていたの。だけど、アルトシア世界の女王様以外は、誰も真に受けなかったらしい。
 だって、いきなり、ペザ世界を滅亡させるなんていわれても、急には信じられなかったと思う。
 だから、アルトシア門が開かれて、ペザ世界救援のために騎士たちが送り込まれた。
 でもね……ペザ王宮は滅亡なんて信じなかった。小さな国に過ぎないアルトシア女王の言葉なんて、大国ペザは耳を貸さなかったの。
 結局、滅亡の前に救い出せたのは、少しでもペザ滅亡の危機を信じてくれた僅かな人々だけ。あの初夏の音楽祭も予定通りだった。
 もう少し、ペザの人々が謙虚に警告に耳を傾けてくれたら……そう、ラスは悔しがっていた。

 女の人の声がしばらく考える様子をした。
「アルトシア門へ……あの魔道師が、さらなる異世界へ旅立つ前に、呪詛に捉えるには、それしかないですね」
 私は、シャムシールの腕の中で震えていた。驚きが、溶けていた私の意識を揺すった。
 この声は、お母さんのはずなのに……
 一ヶ月前に転移門を通じて話しかけて来た声と、少しだけ雰囲気が違うけど、そう、たぶん、間違いない。身体がいうことを聞かないから、確かめられないけど、でも、間違いないの。
 なのに……
 どうして、こんな恐ろしいことを平気で話せるの?
 なぜ、こんなに抑揚を押さえた無感情な声でいえるの?
 アルトシア世界さえも滅ぼそうなんて!
 アルトシアには、ラスも、セシュナ様も、おばあちゃんも、アズレイア門だって……お母さんにとって大切な物がたくさんあるのに。

「シャムシール、暁星(ぎょうせい)の魔道師を追います。アルトシアへ」
「沙羅様、いかに月に魅入られる選択をなしたといえ、故郷を滅ぼすことになるが……」
「シャムシールっ!」
 お母さんの声が鋭く遮った。
「……私は、あの人に恋をした時から、罪人(つみびと)ですから……」
 そして、お母さんはアルトシア門への土の回廊を開く呪文を唱え始めた。私よりも遥かに上手で、美しいとさえ感じるほどに、時空転移門を操って、アルトシア門を開いたの。時空転移門の守人が、「巫女姫」って美称で呼ばれる意味がわかった気がした。
 きっと、アルトシア門は大騒ぎになるわ。だって、まさか、アズレイア家の才女だったお母さんが、ペザ崩壊の犯人だなんてね。
 そうなの。同じアルトシア世界にあるから、アルトシア門とアズレイア門を繋ぐことは日常茶飯事だった。もちろん、転移門の守人同士でも友達だった。風の扉も土の扉も開けたお母さんは、アルトシア門のお手伝いをしたこともあるって。だから、お母さんは、アルトシア門を開くためのパスフレーズも知ってた。

 私は、この後、何が起きるのかをもう知っている。
 まだ子供だったラスが必死になって時間凍結封印を仕掛けて……ラスは、それで大切な記憶を失って……

 お母さんがすぐそこにいるのに……ひとことも話せないまま、お母さんが行っちゃう……そう思った途端、私は力が抜け切ってしまった身体で必死にもがいた。
「巫女姫、静かに……」
 上からシャムシールの声がした。そして気づく。あの柑橘類の匂いがする魔香が焚き染められた漆黒の衣に包まれるようにして、私は、シャムシールの腕の中に抱かれていた。
 そう。意識を操って身体から力を抜いてしまうあの魔香が、気だるさの原因だったの。
「巫女姫、話しかけてはならぬ。いま、声をあげれば、夢が破れてしまう。砂が見せる夢は、本来が不安定なあやかしに過ぎぬ。さもなくば、二度と目覚めることがない眠りに落ちることになる」
「でもっ!」
 声をあげた途端、シャムシールの掌が私の口元を被った。甘い柑橘の匂いがさらに強く私の意識を溶かした。

◇   ◇

 耳鳴りがするほどに静まり返っていた。
 私が、再び、気がついたのは……あの音楽講堂の舞台だった。
 私の胸の鼓動だけが、ひどく大きく聞こえた。

 そうなの。ペザ魔方陣でシャムシールの腕の中で気絶したはずなのに……気が付くと、そこは……巨大な大木のように林立するパイプオルガンの低音部の根元。私は、椅子に座って、音の出ない鍵盤にうつ伏して眠っていたの。

 譜面台には初夏の音楽祭でシアが弾くはずだった曲が、乗っていた。五線譜には丁寧な手書きのおたまじゃくしが並んでいた。たぶん、シアの創作曲。初夏の音楽祭のために、一生懸命に作ったんだと思う。そんな気がする。でも、それは壊されてしまった。
 シアの姿は、ここにはなかった。
 たぶん、あの後、ここから逃げて……あの音楽室まで逃げて、追い詰められて……
 私は、急に寒気がした思いがして、自分の体を抱いた。
 そんなの、いやだよ……

 舞台下の観客席を見遣ると、もう、すでに、そこは無数の砂の山に埋め尽くされている。たぶん、逃げることさえ思い付かないほどに突然の出来事だったんだと思う。礼儀正しくシルクハットが乗った砂の山さえあったもの。
 ふと、その砂の山の間で何かが動いた。
 思わず椅子から立ち上がり身構えた。でもね、金色の仮面を付けたそれも、立ち上がって丁寧に一礼した。
「ようやく、お目覚めですね……巫女姫様」
 どこか粘りっ気のある笑みを含んだ声が、いやだった。あのペザ門での会話を思い出した途端、私は冷静ではいられなかった。
「あなたたち、どうして、こんなことをしたのっ!」
 私の声は、びっくりするほど、音楽講堂に反響した。
「我らが主、ギルティア皇帝陛下をお救いするためです」
 どういうこと? それに、ギルティア皇帝って、誰れ?
 会ったこともない人の名前に、私は首を傾げた。
「ギルティア陛下は……人々から、呪詛世界と呼ばれる世界を、統べられる方です」
 私は身体が震えたのがわかる。呪詛世界という言葉を聞くと、不安が止まらないの。でもね、クレッセントは抑揚をなくした声で語り続けた。仮面が邪魔でどんな顔をしているのかは、まるで知れないけど。
「沙羅様は、陛下を心から愛しておられます。そして……我らは、ギルティア様にお仕えしておりましたゆえに……」
「でも、どうして、こんなことをしたの……」
 呪詛世界という言葉を聞いてしまったせいね。さっきのようには声が出ない。
 クレッセントは、すぐには答えなかった。
 以前に見た夢のように、ゆっくりと、舞台にいる私に向けて、砂の山の間を歩いて来る。私は、静かに答えを待っていた。
「暁星の魔道師が、星魔法でギルティア様を殺めたのです」
 ようやく舞台に上がって、ノッポのクレッセントが私を見下ろした。答えは、頭の上から振って来た。
 それから、クレッセントは、以前に見た夢でしたのと同じように……
「ようこそ、私がお招きした砂の夢へ……」
 深々と一礼した。
「シャムシール殿より、巫女姫のことは聞き及んでおります。とても、優しい方だと……さすが、沙羅様とギルティア皇帝陛下とのお子様であると……」
 再び、クレッセントは深くお辞儀をした。
「沙羅様より、ご命令を受けていたゆえのことでありますが……これまでのご無礼を深くお詫びいたします」
 私は、壊れたピアノのように……何もいえなくなって……音が途切れた音楽講堂の舞台に立ち尽くしたままだったの。

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