生まれる前の沙の夢 #13
生まれる前の沙の夢 #13 ~星の願い

 何度目になるのかな?
 足を踏み入れた時、そう、思った。
 いつも砂の夢は、この音楽室から始まっていた。
 その理由は……少し蒼ざめてさえ見えるシアの横顔が、そう、その答えだった。
「あの日、私の大切な時間が、途切れてしまった場所……」
 シアは、それを見下ろして、ぽつりと呟いた。
 大きなグランドピアノの置かれた部屋、その片隅に隠れるように、小さな砂の山があるの……それが、シアの砂。


 大鐘楼に突然現れたラスから、もらった胡蝶草の種……たった、ひとつぶだけの種を、迷わず、私はシアの砂に植えることにしたの。
 シアは、戸惑った顔をしていた。
 無理もないと思う。だって、シアにとってラスは、どんなに利発でも、「おチビさん」だったはずだもの。
 そのラスと、沙羅の子供の私が、ペザを浄化しようなんて話をしているなんてね。
 シアの時間は、途切れてしまった。あれから、十五年も経った。理屈では理解できても、たぶん、気持ちが付いて行かないんだと思う。
 そういう私にも、ちょっと戸惑うことがあるの。だって、すごく強い月の魔法が砂に焼き付いているし、元々、この種の魔法は難しいの。
「ラス、本当に私にできるかな?」
 私が問うと、シアも同じく疑問げな表情を向けた。
 だけど、ラスは自信を持って、たぶん私を励ますために……うなづいた。
「大丈夫、死と骨と砂の呪いを受けた砂を浄化することは、とても困難ですが……しかし、星の願いさえあれば、必ずできます」
 月魔法の死と骨と砂の呪いを受けた人々は、邪気や死人に囚われて、焼かれて砂に変えられるの……
 シアが教えてくれた。
 お母さんが使った魔法は、残酷なのに、とても優しくて……誰ひとりも苦しまなかったそうなの。ただ、夢を見るように……砂に変えられたって。
 でもね、遺された砂には、たくさんの負の魔法が焼き付けられているの……そう、悪用したら他の誰かを、夢で操ることさえできるくらいに。別名「魅惑の砂」と呼ばれているのも、そんな月の魔法が染み付いているからなの。

 私は、シアとラスに見守られて、小さな淡い水色の砂の前にひざまづいた。
 丁寧に砂を掬う。
 あの蒼い魔法石の填まったペンダントが、砂の中からこぼれた。
「これは……?」
 いつも夢に出て来て、いつもどこかへ行ってしまうペンダント。夢だから、目が覚めたら消えちゃうのは、当然と思っていけどね。
「お守りです……演奏が上手くできますようにってね」
 ぽつりと、シアが呟いた。
「初夏の音楽祭に……」
「えっ?」
 シアの声が、少しだけ違って聞こえた。だから、思わず、聞き返してしまった。微かにだけど、切なげに震えていたの。
 言葉を遮られたシアは、少しだけ、戸惑った顔をしていた。
「……ごめんなさい……えっと、このペンダント、何回も夢で見たけど、きれいね」
 シアは、私の傍に身をかがめ、ペンダントを拾い上げた。蒼い石を弄びながら……戸惑いと、はにかみと、切なさの溶け合った表情が、何かを告白したくて揺れる。それから、助けを求めるように、ラスを見上げた。
 ラスは、優しく微笑んだ。私にくれるのとは、微妙に違うけど……安心させてくれる微笑をね。
 シアは、ペンダントを両手で包んで、胸元に抱いた。
「初夏の音楽祭に演奏する課題曲が、いくら練習しても、上手く演奏できなかったから……ギルティアがお守りにくれたの」
 か細い声で、ぽつりと話す。
 ラスがシアの震える肩を励ますために支えた。
 ふたりが私に何か大切なことを、一生懸命に伝えようとしていることに気づいたから、静かにシアが言葉にしてくれるのを待った。
「私も、私だって……ギルティアのことが好きでした。結局、選んでもらえませんでしたけど……でも、一生懸命に振り向かせようって思って、おねだりもしたり……」
 シアの横顔は、睫毛の先に透明な涙を揺らながら、恥かしげに微笑んだ。
 少しだけ驚いた瞳でシアを見返してしまった。恥かしげな視線が絡んで、私まで赤くなりそうだった。

 恥かしさを隠すように、砂に向き直った。
 両手で救い上げた砂は、微かに冷たくって、さらさらしていた。
 心の中で、何度も、何度も、繰り返し願う。
 たとえ、どんなに微かでも、絶対、希望が勝つから。
 どんなに苦くっても、希望は希望だから。
 私を希望と信じてくれる人がいるから、星の力はお母さんからもらった希望だから……

 悲しい過去も、痛々しい悪夢も、不幸な憎しみも……お願い、全部、消し去ってっ!

◇   ◇

 砂の夢から目覚めた私は、ただ泣き続けた。
 ガラス瓶の中に詰めた砂も、ちゃんと星の魔法で浄化されていた。
 でも、涙は止まらなかった。
 声をあげても、何も言葉は思い付かない。ラスの腕にすがって、ただ泣きじゃくった。そんな泣き震えるだけの私を、ラスは愛しげに抱き止めてくれた。
 気づくと、あの蒼い石のペンダントが私のスカートの上に、まるで、忘れ物のように乗っていた。
 シア、ごめんなさい……
 夢の中で出会った。たったそれだけだけど、シアは私の大切な親友だった。とても優しい子だった。でも、私は、シアと入れ違いに生を受けて……シアから何もかもを奪って、なのに、ずっと何も知らないままでいられるように庇われていた。
 どうして、みんな優しいんだろう。私は、こんなにひどい子なのに。
 溶けてしまいそうなほど泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。

◇   ◇

 どれくらい時間が過ぎただろうか……枕元に気配を感じて身を起こすと……悪戯っぽく微笑むシアがいた。
「ちょっとだけ、忘れてたこと、思い出したの……だから、また、会いに来ちゃいました」
「忘れてたこと?」
 私は、シアの意味ありげな微笑がわからなくって、聞き返した。
 シアは、私の耳元に唇を寄せた。
「あなたへのご褒美、良く頑張ったから、私からも何かあげなきゃね」
  ぱちんっ!
 シアが指を鳴らした。
 薄闇の部屋から、むっと蒸せ返るような真夏の青空の下へ、景色が一変した。
 私の背丈を越えるトウモロコシや、まだ色付く前の麦の穂や、ヒマワリ……遠くにアズレイア門の古びた石の環が見えた。
 赤い屋根の私の家も、涼しげな噴水の水音も、喧しいくらいの虫たちの鳴き声も……
「シア、ちょっと……何、これ?」
 声をあげかけて、気づいた。
 大きなトウモロコシの影が、地面に色濃く揺れる。でも、それは……
 トウモロコシや麦が大きいんじゃなくって、私が小さくなっていたの。
 ちょうど、五歳くらい。
 きっと、ラスが、アズレイア門にいる私に気づいた頃……
 だって、いま、振り向いたら、男の子が黄色いトマトの花の影に慌てて隠れたものね。
 私は、黄色いサマードレス姿で、大きく深呼吸した。
 急に、思い出したの……ここが、いつなのか。
 例えるなら……引出しの奥から、ずっと前に隠したキャンディーが転がり出て来たみたいに……

「沙加奈……ねぇ、思い出した?」
 どこかで、シアの声がした。
 わたしは、うんっ! と、微笑を返した。
 やっと、シアが見せてくれたこの夢が……いつのどこなのか、思い出せたの。

 ずっと、忘れてた。
 ラスに、初めて出会った真夏のあの日のこと……
 わたしは、これから、何をしたら良いのか、もう、知ってる。
 ずっと、忘れていけど……ちゃんと、思い出したもの。
 きっと……ううん、絶対に……ラスは、私のこと、この日の出来事がきっかけで好きになってくれたんだって思う。


 そう、私は、五歳の時の真夏に、十四歳だったラスに出会ったの。
 それが、始まり。
 そう、不幸な出来事じゃなくって、もっと、ちゃんと出会った始まり。
 それから、ずっと、ラスは私のことを見てくれていた。
 心配しすぎて、いつのまにか、秘密で編んだ籠の中に、小鳥みたいに閉じ込めてしまったけど……でもね、出会った時は、こんなに眩しい夏空の下だったんだ。

 どんなに苦くっても、希望は希望だもの……
 どんなに、ささやかな光でも、星は人を導いてくれるから……

 私は、いまから、何をしたら良いのか、ちゃんと、知っている。
 お勉強の時間なんか、放り出せばいい。
 お昼ご飯食べた後だから、いくらでも走れる。
 さあ、鬼ごっこをはじめるわ。

  おしまい

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