生まれる前の沙の夢 #3
生まれる前の沙の夢 #3 ~真実と砂入りのビン

 自分が見た砂に被われた景色が、ペザだってわかった……たった、それだけのこと……ペザが滅亡したことは現代史の時間でも、地理の時間でも習っていた。だから、砂の呪いに滅ぼされたことも、原因が時空転移門の事故だってことも知ってた。
 それなのに、「怖い」って……
 重苦しい何かが閉じ込められた扉の前に立っているかのように、私は不安だった。
 だから、急に泣き出してしまったんだと、思う。

 クレッセントという妖魔に操られた教頭先生の声は、どこか、微かに優しい笑みを含んでいた。
「覚えているのですよ……」
  えっ?
「ペザが滅びたのは、巫女姫が生まれる前年の出来事です。そのとき、沙羅様はあなたを身籠っていらっしゃいました」
「そんなの覚えてるわけないよ」
 それに、なぜ、お母さんの名前が出てくるの?
 疑問いっぱいの顔で、金色の仮面を見上げる。お母さんの名前と、ペザ事件と、なぜか、どこかで繋がりがある……以前からそんな気がしていた。でも、クレッセントは、またも含み笑い。
「あなたもなの? みんな、何か、隠し事をしてる……」
 おばあちゃんも、ラスも、「何か大切なこと」を隠してるの。何度もしたように、私は頬を膨らませた。でもね……
「いいえ……私は、巫女姫を閉じ込めている秘密の鳥籠を開くよう命じられています。しかし、真実は、ご自分の意思で確かめるべきですよ」
 それは、私の手に包めるほど小さなガラス瓶だった。
「真実を、秘密の鳥籠を開くための鍵です」
「どういうことよ?」
 何かが変わりそうな予感がした。だから、つんと、そっけなく答えて見せた。秘密のしっぽが、私の視界の端っこで揺れている……そんな気がしたから。
「先週、職員室に巫女姫を呼び出した際、密かに、あなたの髪にこの砂をかけました。ほんのひとつまみですが、このとおり砂の夢を見せることができます」
 もちろん、全然、気づかなかった。それに、私、毎日、ちゃんと、髪を洗ってるけど……
「不思議そうな顔をしていますね。このペザの砂は、特別なのです。お風呂に入った程度では落とせません。そして、意図したように夢を見せることができます」
 クレッセントは、コルクの栓を抜いて、私の髪に砂を落とした。微かだった。本当に、微かに……だけど……
「信じられないようですから、試してみましょうか?」
 あまりに微かだったから、私、砂を落とされたことにすぐ気づかなかった。クレッセントの含み笑いで気づいたの……
「実は、興味深い夢をご用意してあるのです……ラス殿が見ている夢を、巫女姫も見てみたいと思いませんか?」
 迷ったけど、私は好奇心に負けた。
 いつも涼しげな微笑のラスが見る夢って……?
 でも、クレッセントは微かにだけど、ため息をついた。
「アルトシア世界の宰相ラス殿は、巫女姫のことを何度も夢に見ています……この夢を手に入れるのには、苦労しました……あのアズレイア門での出来事の折、シャムシール殿は、こっそり、ラス殿の記憶を写し取っていたのです。かの守護魔法の使い手たる宰相が無防備になるなど、めったにない好機ですから」
 教頭先生を操る妖魔がいうのは……ラスが必死になって、呪詛世界への扉を開く寸前だった私を助けてくれた、一ヶ月前のあの出来事のこと。

◇   ◇

 ラスが見ている夢の中で、私は小さな白い小鳥だった……

 ずっと寂しくって、さえずりながら待っていた人が来た。
 銀色の鳥籠の向こうに、優しい微笑が揺れる。
 粟をいっぱいにした餌箱を取り替えてくれた。
 きれいな水をいれて……
 全ての窓を閉ざして、ガラス窓にぶつからないようにカーテンを掛けて……
 それから、鳥籠が開かれる。
 小さな私を掌に優しく包むと、ゆっくり翼を広げて……私の翼の風切羽根を丁寧にハサミで切り落としてゆく。そう、狭い鳥籠の中で羽ばたいても、傷つかないように……
 風切羽根を切られたら、小鳥は遠くへは飛べなくなる。
 小さな鳥籠の中、狭い部屋の中に、隠されて匿われているには、小鳥は上手に飛べない方がいいから……


 漆黒の闇に閉ざされたアズレイア門の中心に、真っ白な衣装に包まれた十四歳の少女が佇んでいた。とても悲しそうな瞳を、ガラス玉のように涙に濡らして……
「沙加奈姫……」
 だから、それが、私だとはすぐに気づかなかった。そして、ラスの声は、ひどく悲しそうだった。
 突然に、たくさんの知らない人たちの声が聞こえた。
 それは、幼い頃に聞いたあの言葉だった。おばあちゃんが、大勢の知らない人たちといい争っていて……私は、部屋の奥に隠れているようにいわれて……ドアの陰から聞いた言葉……

 沙羅は、月に魅入られた。
 その娘は転移門の守人でありながら、呪詛世界の在り処を知っている。


 とても厳しい目をした年長の女性がラスを見据えていた。それが、女王様だった。
 そして、女王様がラスに命じた。
「もしも、かの巫女姫が月に魅入られたなら……呪詛世界への扉を開いたのなら……望まれぬ扉を閉じる唯一の方法は……」
 それは、真銀で造られた短刀だった。その鏡のような刃には、妖魔を平伏させるための無数の呪文が彫り込まれていた。


 まるで花が咲いたように、少女の左胸が朱に染まっていて……
 ラスの腕の中で、透明な寝顔のままで……
 最後に、「ごめんなさい……」と、つぶやいた淡い唇が、だんだん、朱色を失ってゆく。
 冷たくなった唇に、口づけをして……
 そして、悲鳴のような泣き声……

 そう、可哀想なくらいに悪夢がラスを苦しめていて……私は、いままで、何も知らなくって……

◇   ◇

 ほんの一瞬の夢だった。走馬灯のように、次々に景色が通り抜けていった。
 でも……
 ぼんやりと立ち尽くしてしまった。
 私、知らなかった。
 ラスがこんなにも、私のことを想っていたことに……そして、苦しんでいたことに……
 私を安心させてくれるための微笑の向こう側に、ラスが隠し続けている秘密があると思う。ほんの少しだけ、見え隠れするヒントを繋ぎ合わせても、私、馬鹿だから、答えが見えないけど。

 どんなことがあっても、私の味方だって約束してくれた。
 私は、ただ約束を信じて……だから、何も気づかなくて。
 ……ごめんなさい。

 微かなため息の後に、クレッセントが声をかけた。
「ラス殿は、あなたを守りたいという気持ちから、あなたを秘密の鳥籠の中に閉じ込めているのです。その一方で罪悪感に似た想いを抱いているようですね」
 少しだけ、秘密の鳥籠という言葉の意味が、わかった気がした。
 だって、異世界の魔法学院に留学している今も、ラスの配下にある騎士や魔道師が、こっそり私のこと監視しているの。呪詛世界の妖魔が私に近づかないようにって。
 だから、ラスは私のこと、何でも知ってる。食べ物の好き嫌いから、試験の点数までも……
 そして、たぶん、私が隠し事の答えに気づくことのないように見張っている……
「どうしたらいいの?」
「答えは簡単です……あなたが鳥籠を抜け出して、ちゃんと飛べることを見せればいいのです。でも、出来ますか?」
 私は、小さくうなづく。
「秘密に守られていることは、幸せで……真実を知ることは、子供のままでいられないという痛みを知ることですよ」
 私は、もう一度、小さくだけど、うなづいた。
 ずっと前から、薄々だけど気づいていた。
 おばあちゃんと、ラスが、私を守るために、何か大切なことを隠していることに……

 ふと、クレッセントが上を見上げた。
「アルトシアの宰相が切れ者という噂、本当のようですね……」
「えっ?」
 遠くから鈴の音が聞こえた。これって、何なの?
「魔法探知を受けている音ですよ……ラス殿の配下に、優れた星見術師がいるのです。お会いになったことは?」
 私は、首を横に振って見せた。一ヶ月前のあの出来事のとき、私は一度にたくさんの人たちと会ったから、覚えきれなかったけどね。
「もう気づかれたとは、正直に申し上げて驚きですね……」
 クレッセントの様子は、どこか悔しそう。夢を使って私に近づいたなんて、絶対にバレないって思ってたのかもね。でもね、ラスはすごく優秀な人だもの。
「さあ、これを差し上げましょう」
 クレッセントは話を切り上げて、小さなガラス瓶を手渡してくれた。中には、純白のさらさらした砂が入っている。
「真実を知りたければ、砂の夢の続きを見なさい。これより先は、沙羅様のご学友だったシア姫殿が、ご案内いたします」
 私は、掌の中で手渡された小瓶を転がしてみた。微かに砂が音を立てて流れて、不思議と細かな輝きが揺れていた。

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