生まれる前の沙の夢 #7
生まれる前の沙の夢 #7 ~音楽講堂

 セシュナ様が、小さな鈴をシャンと鳴らした。シアが気づいて、振り向く。
「お久しぶりです、シア様」
 少しの戸惑いの後、シアが答えた。
「ええ……セシュナ、大きくなったんですね」
 ずっと昔からの親友。ふたりは、少しうれしそうだった。
 やっと、わかった。星見術師のセシュナ様は、この鈴を使って私が見ている砂の夢を覗いていたの。ほら、クレッセントさんと話していたとき、遠くで鈴の音がしたけど……この鈴の音だったんだ。
「こんなことして、いいの? ラスに怒られますわよ」
「大丈夫です。私から説明いたします。きっと、わかっていただけると思います」
 セシュナ様は、ラスから叱責を受けることを少しも恐れていないようだった。宰相府にいる他の人々とは大違いね。それだけ、信頼されているし、ラスのことを信じているんだと思う。
「じゃあ、ラスのことはセシュナに任せますね……その代わり、沙加奈をあたしに預けて下さい」
「お願いします」
 ゆっくりセシュナ様が深く頭を下げた。
 シアは、時間が止まった少女だった。あのときから、砂が見せる夢の中だけに生きているの。だから、年下だったはずのセシュナ様に、背丈も姿も追い抜かれてしまっているの。
 シアは、少しだけ、淋しそうな瞳を揺らした。
 少しだけ、シアの気持ちがわかったような気がして、私は、下を向いてしまった。独りで取り残されるのは、誰だって、嫌だよ。
「でも、いいわ……セシュナのお陰で、ずっと前からの沙羅との約束が果たせそうですから」
「約束って……?」
 今度は、私が問う。
「沙羅から、あなたへの伝言を預かっているの……ペザのあの日を見せてあげた後に、お伝えしますね」


 「さあ、行きましょうか、虚栄と破滅の都、ペザのあの日へ……」
 シアが指を鳴らした。
 とたん、景色が一変した……

◇   ◇


 私は……大きな巻貝の化石が封じ込められた、大理石の床の上に立っていた。
「石の都、ペザに降り立ち、我らがレアルティア音楽学院に教えを請う者よ。太古より紡ぎし風の音と、地の鼓動とを奏でる者たちが集う、この学び舎に訪れた汝を、志を同じくする学徒のひとりとして、我らは歓迎する……」
 私の傍らで、シアがまるで呪文を読むかのようにつぶやく。
 そう、あの大理石の床に彫られていた文字を読んでくれたの。夢の中と違って、大理石の床も、回廊も、どこにも砂埃なんてなくて、鏡のように磨かれていたけどね。
「えっとお……う~ん、やっぱり、難しくってわかんないよぉ」
「うん、あたしも実は、沙羅に読んでもらったのを暗記しているだけです」
 私が驚いた顔で振り向くと、シアはにっこりと笑った。
「沙羅には、ずいぶんとお世話になったの……あたし、カイハネアにいた頃は、ずっと王宮の中にいたから籠の中の鳥も同然で、何にも知らなかった。
 だから、お父様に無理をいって……このレアルティア音楽学院へ留学したとたん、困ってばっかりでした」
 成績も悪かったですし……と、シアは、はにかんだ顔で付け加えた。
「同じね、私も教頭先生にチョーク投げられてるし……」
 私は、シアの言葉にうなづいた。
「ふふふ、あたしなんか、楽典で張り倒されたことがありますわ」
 楽典っていうのは、音楽用語とかの辞書のことで、結構な厚みがあるんだって……出席簿で叩かれるよりも痛いんだよね、きっと。
 そうそう、シアも赤点取り娘だって……私たち、勉強ができない同士の会話で、すっかり盛り上がってしまった。
 それから、いい忘れてたけど、私たち、親友になれそうだったから、お互いに呼び捨てにすることにしたの。似た者同士だものね。
 ……例え、残酷な過去が抱え切れないほどでも……友達でいたいという気持ちは信じたいと思うから。

 急に思い出したように、シアが周りを気にしだした。
「もう、予定外の赤点の話をしていたら、時間がなくなってしまいましたわ……急がなくっちゃ……」
 シアが私の手を掴んで、走り出そうとした。
「ちょっと、何を急ぐの?」
「何をって、沙羅の演奏、もうすぐなんです……音楽講堂まで、走りますわよ」
 えっ……? お母さんの演奏? でも、ここの回廊って、結構な長さがあったような気がするよ。
「だから、走るんです……急いでくださいっ!」

 シアは駆けっこも苦手だった。私は、ずっと、片田舎にあるアズレイア門の周りで遊んでたから、走るのは得意なの。
 結局、私がシアの手を引っ張って、音楽講堂まで走った。
 息を切らせて、胸元を押さえているシアを心配になって覗き込んだ。
「大丈夫……?」
 シアは、ぱたぱたと手を振った。大丈夫といいたいらしい。

 音楽講堂の座席は、大勢の人々で埋め尽くされていた。大半は王族や貴族の関係者、それに大商人のご令嬢の父兄もいる。ペザは交易で栄えた都だったから、「習い事」のために音楽学校に通わされている子も、たくさんいたんだと思う。
 シアがいうには、レアルティア音楽学院の学費って、ちょっとびっくりな金額なの。一般の人々には、たぶん、無理かな。
「才能さえあれば、学費を免除されるだけじゃくて、奨学金までいただけますわ……だって、沙羅はそうですから」
 シアが口を尖らせた。お母さんって、すごい秀才だったらしいとは聞いてたけど……転移門の守人になれたんだから、理数系は完璧だろうと思うけど……音楽の才能もあったんだ。
「聞いてないの? 沙羅のこと」
 私が首を振って見せると、シアは意外そうだった。
「そう……アズレイア様も、ラスも、沙羅のこと、沙加奈には本当に何もかも内緒にしていたのですね」
 シアは、微かにため息をついた。私には、シアの表情の意味がわからなかった。どうして、そんな寂しそうな顔をするんだろう。

 私は、シアにもう少しお母さんのことを聞きたかったけれど、ふいに、周囲から拍手が沸き起こった。
 漆黒の衣装に身を包んだ怜悧な表情の女性が、舞台に現れていた。
「……沙羅です」
 シアが私にささやく。シアの声は、何かの気持ちを押し込めているように、微かに感じられた。
 そしてピアノの旋律が、音楽講堂を満たしてゆく……
 不思議だった。
 お母さんの演奏に、音楽講堂にいる聴衆の誰もが魅入られているようだった。とても難度の高い複雑な旋律の課題曲を、半分くらい即興を交えて弾いていたの。
 楽譜をきちんと理解して演奏することは、とても難しいことだって思う。ただ単純に音符を読むだけじゃなくって、曲を解釈して演奏することだから……ピアノを思い通りに歌わせることだから……でも……
「冷たい感じがする……」
 感じたとおりに言葉にすると、シアが私の隣で微かにうなづいた。
 演奏が終わった。
 たくさんの拍手が音楽講堂を包んだ。
 それに混じって、無神経に大きな声もした。
「素晴らしい。この音楽祭で最高の演奏だ……」
「当然だ、妖魔に惑わされた愚かな娘が……許されたのは、この演奏力のお陰だからな……」
 シアが止めたけど、振り払った。私は、反射的にその声の主に詰め寄ってしまった。
「どういうことっ!」
 見ると、カエルみたいにお腹が張り出した中年紳士がふたり、品の感じられない笑いを浮かべていた。たぶん、ペザの富豪だと思うけど、私、こういう人、好きになれない。
「何だね……おまえは……」
「妖魔に惑わされたって、いってたけど、どういう意味なの?」
「不躾な娘だな……誰に向かってそんな口をきいているんだ」
 当然だけど、ムカッときた。たぶん、大富豪は偉いんだといいたいんだろうけどね……魔法も使えないくせに威張らないでっ!
 そう、こいつらに魔法力がないのは、ひとめ見てわかったけどね。
 でも、ぐっと我慢した。
「教えてっ!」
「沙加奈、やめて……」
 シアが私を引っ張るけど、私は聞き入れなかった。シアにとって、私の行動は予想外だったようね。まさか、噂話を目ざとく聞きつけて、相手に掴みかかるなんて、お嬢様のシアには考えつかなかったと思う。
 そいつらは……こんなやつら、「そいつら」で充分だけど……私とシアのやり取りを、ぼんやり見てたけど。
「教えてよっ!」
 シアの制止を振り切って、いっそう甲高い声をあげた。
 私の声に押されて、そいつらは、うっとうしそうに口を開いた。
「二ヶ月前のことだ。知らないのか? 沙羅とかいうあの娘は、我々が捕らえた妖魔の助命を、王様に申し出たんだ」
「大切な人だとかいいだしてな……困ったものだよ」
「呪詛世界の妖魔に、恋をするなど……」
 シャン……
 鈴の音が、ふたりの男たちの言葉を遮ったとたん、夢が途切れていた。

◇   ◇


 そこは、ペザの音楽講堂ではなく……宰相府のあの部屋だった。
 そして、ラスが私のすぐ前にいた。
 気遣わしげな優しい目をしていた。
 ラスに心配をかけた。ラスに隠れてこんなことして……なんて、話しかけていいのか迷った。でも、黙っていたら、何も変えられない。
「ラス……ごめんなさい。心配かけて……でも、本当のこと、知りたくって……守ってもらうだけじゃいやだから……籠の中の小鳥のままじゃ、だめだから……」
 ラスは、泣き虫になりそうな私の髪を優しく撫でてくれた。
「セシュナから理由は聞きました。沙加奈姫、あなたは私が考えていたよりも、強い方なのですね」
 私は首を振った。
「私、そんなんじゃないよ……」
 ラスの声は、とても優しかった。
「沙加奈姫……私は、あなたのことを案ずるばかりに、いつのまにか、あなたを窮屈な秘密の鳥籠の中に押し込めていたのかも知れません」
「ううん、ずっと、私のこと、見守ってくれてたんだもの……ずっと、いえなくて、辛かったんだもの……だから……」
 急に頬が熱くなったのがわかる。
「……感謝しています。本当に、ずっと、ありがとう……」
 恥ずかしくて、つぶやくような声でしかいえなかったけど。
 ラスの答えは……私の髪を優しく撫でてくれた。

 そうそう、なんて私は馬鹿なんだろう。こんなことも気がつかないなんて……
 だって、ラスが駆けつけたのは、当然だった。なぜって、この宰相府の中で、砂の夢の魔法を使ったら、ラスが気づかないはずないもの。
 セシュナ様は、ラスの傍らに控えるように佇んでいた。セシュナ様は、こうなることをわかってたと思う。それに……よく見ると、微かに頬を赤らめている。
「セシュナ様、ラスと喧嘩したの?」
 急に私は、心配になった。だけど、セシュナ様とラスは、にっこりと微笑った。
「ご心配なく、ラス様は、ご理解のある方です……もちろん、討論はいたしましたが」
「沙加奈姫、むしろ、姫には感謝しなければいけません……沙加奈姫のお陰で、私もセシュナも長い間いえずにいたことが、話せました」
 私がシアと夢の中にいた間に、セシュナ様とラスは、激しくいい争ったみたい。でも、ふたりはちゃんとお互いのことを理解していたから……大丈夫だよ。

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