生まれる前の沙の夢 #9
生まれる前の沙の夢 #9 ~死と砂と骨の呪詛を

 ペザ門へは迷わなかった。案内標識を見なくても、騒乱と、喧騒と、破壊魔法を行使したに違いない魔韻のざわめきが、その場所を教えてくれた。
 市街地の中央に位置する緩やかな丘陵に、ペザ門はあったの。ここでも、逃げてくる人々の群れを何とか潜り抜けた。誰もが口々にペザ門に妖魔が現れたと喚いていた。

 ふいに、とてつもなく重い魔韻の響きを感じて、敷石舗装の街路に立ち尽くした。人々の流れの中に立ち竦んだ私は、たちまち肩をぶつけられて、邪魔だと罵声を浴びせられた。
 でも、そんなこと、どうだっていい……ずしんと、お腹に響く魔法力の重圧が、不安と恐怖を掻き立てるの。
 この感じ……この魔法力……っ!
 商都ペザの人々の多くは、魔法を使えない。だから、誰もが気づかないけど……一応、時空転移門の守人である私には、今感じた力が「何なのか」すぐに理解できた。
 だって、私もこの魔法を一度だけ使ったことがある!

 緩い上り坂を必死に駆け上がった。人ごみを掻き分けて、ようやく、ペザ門へ続く聖殿の入り口にたどり着いた。早鐘を打つ左胸を押さえた。もう、息があがっている。
 まだ、始まったばかり。もっと、頑張らなくっちゃいけないのに……。
 だけど、全力疾走に加えて、断続的に響いて来る魔法力の波動が、鼓動を高鳴らせるの。なぜって、その力が、とても恐ろしい出来事が始まったことの証だから……呪詛世界への回廊が開かれようとしている。その死と砂と骨を願う呪文の詠唱が、時空にさざなみを広げているのだから……

 大理石の扉をくぐった私は、唖然としてしまった。
 世界を守る結界に唯一、開いた扉が時空転移門……だから、どこの世界でも時空転移門は厳重に管理されて騎士たちに守られている。
 でもね……ペザ門の騎士たちは、誰もいなかった。ペザ門に異変が起きた途端、真っ先に逃げ出してしまったらしいの。
 街角の喧騒が、うそのように、聖殿の中は静まり返っていた。でも、彼方から時々、破壊魔法の重い響きが遠雷のように伝わって来る。たぶん……街で擦れ違った人々が恐れていた妖魔が、攻撃魔法を打ち出しているんだと思った。そして、その方向にペザ門の魔方陣があり、きっと、お母さんがいる。

 ペザ門の魔方陣へと続く大理石の回廊へ足を向けかけて、立ち止まる。一瞬、躊躇したけど……私は傍らに設けられた審査所に駆け込んだ。時間が惜しいけど、すでに誰にも見咎められることはないけど……規則だし、礼儀でもあるから……記帳だけは済ませた。

 冷たい靴音を響かせて……無数の太古の貝殻が封じ込められた大理石で造られた回廊を走った。魔方陣へと向かう階段を駆け上がった。
 途端、あまりの光景に射竦められる。
 漆黒色に輝く魔法符形が、そこらじゅうにばら撒かれ、不吉に輝き舞い踊る。それが、邪悪で強力な虚数魔法の輝きだと気づいた時には、間に合わない。
  きゃあっ!
 叫んだはずだけど、自分の悲鳴さえ聞こえなかった。
 轟音を伴う爆圧と、紅く揺らめく火焔が召喚された。
 何も出来なかった。私は悲鳴を上げて立ち竦むだけ……スカートが激しく熱風に煽られた。
 でも……大丈夫だった。私は、今、夢を見ているのだから……
 でも、周りを見廻して、思わず悲鳴を上げそうな口元を押さえた。
 立ち竦む私の周囲に折り重なるように、騎士たちが薙ぎ倒されていた。
「妖魔めっ!」
 騎士たちの雄々しいけど、ひどく焦り取り乱した声が叫んでいる。
「撃ち掛かれっ! ペザ門を呪詛世界の妖魔に渡してはならん」
「魔法兵、前へっ!」
 たったひとりの老人を、アルトシア世界軍の騎士たちが取り囲んでいた。
 私はセシュナ様が話していたのを思い出した。アルトシア世界から、ペザ門へ援軍を出していたって……だから、詳しいことはわからないけど、本末転倒だけど、ペザの騎士たちが逃げ去った後のペザ門を、アルトシアの騎士たちが取り戻そうとしていたの。
「紅炎魔法、撃てっ!」
 無数の赤い火球が、ペザ門魔方陣に立つ老人に襲いかかる。だけど、その漆黒の衣をまとう老人は、片手を挙げただけで魔法の炎を掻き消してしまった。
 騎士たちに、驚愕が走った。
 そして、詠唱……
 イスグ・ラウの深遠に囚われし煉獄の炎よ、我が命ずるところに従い、我に逆らう愚者どもに制裁を下せ……
 この声、この魔法力……私は、老人が誰なのか、顔が見えなくってもわかった。
 素早く、老人の指が宙に魔法符形を描き、恐怖が完成した。迸るようにまぶしい光の束が、群がる兵士や騎士たちを横なぎにしてゆく……
 防御魔法も、反射符形も、真銀製の堅牢なはずの盾も……人が紡ぐ魔法は役立たずで、精密な呪符に彩られた防壁魔法さえも無力で……ただ踏み躙られて、赤い炎の中で溶けていったの。
 ……これが、私が生まれる前、初夏のあの日、ペザで起きたこと。
 まるで幽霊みたいに砂の夢の中に立ち尽くした。私の周りで大勢の騎士たちが、絶望的な戦いを演じているけど、私がここにいることに誰も気づかない。ううん。本当は、私はここにいない。これは、夢だから……砂が見せる夢だから。
 漆黒の衣をまとう老人が、止めとばかりに腕を振り上げた。
「シャムシールっ! やめてっ!」
 とっさに、老人の名前を叫んだ。夢の中なのに、彼は私の声に気づき、描きかけた破壊の魔法符形を途中で止めた。
「た、退却っ!」
 騎士隊長が命じるまでもなかった。盾も剣も甲冑さえもぼろぼろにされて、騎士たちはみんな転がるように逃げ出してゆく。

 私は、魔方陣に駆け寄った。
「我が新しい主よ、ようこそ砂の夢へ」
 シャムシールが恭しく私を迎えた。でも……態度こそ恭しくしてるけど、力強い腕で私を遮った。
「どいてっ! 通してっ!」
「巫女姫、それは叶わぬこと……これは夢だ。ペザは過ぎ去りし日に滅んだ。今となっては何も変えられぬ」
 そんなこと、知ってる。でも……
 でも、お母さんが、すぐ、そこにいる。
 お母さんの顔さえ、ちゃんと、覚えてないのに……
 無数の魔法符形が舞い踊り、お母さんの姿は霞んでいた。すぐ、そこにいるのに、せっかく、ここまで来たのに……駆け寄って、お母さんの姿をこの目でみたい……そんな気持ちが抑え切れなかった。
 シャムシールは、まるで、私の気持ちを見透かしているかのように、大きな影となって遮り、太い腕で私を捕らえた。
 そして私は、シャムシールの太い腕に抱き支えられながら……ずっと知りたいと思っていた光景を目にすることに……

 淡い紫に震えて輝く魔法陣の中に、お母さんのシルエットがたたずんでいた。腰まで届く長い黒髪が揺れる。そして、背丈よりも大きな三日月形をした銀骨色の鎌を携えていた。
 つぶやくように、死と砂と骨を望み願う呪文を唱えている。繰り返し繰り返し、何度も言葉に魔法力を込めながら……
「我、沙叶の名において命ず、白亜の亜空を貫き異世界への扉を開き、我、望む異世界への月の魔法に紡がれる扉……」
 えっ!
 一瞬、耳を疑った。でも、再び、呪文をつぶやく声が繰り返す。
「我が身に身籠る皇女、沙叶の御名において、封じられし太古の邪鬼と死人に命ず……幾重にも重なり連なる骸と骨と砂を、虚飾を弄び傲慢に溺れるペザに巣食う愚者たちにもたらさんことを」
 さ・か・な……って!
 なぜ……お母さんは、私の名において、死と砂と骨の魔法を行使しているのっ!
 そうなの。綴り字は、この後で知ることになるけど、お母さんは「沙叶」と私を呼んでいるの。どうしてなのか、わからなかった。だって、「沙加奈」って名前は、おばあちゃんが付けてくれたはず。
 それに、皇女って……
 あの時、アズレイア門で呪詛世界への扉を開きそうになった時……シャムシールが一度だけ、私のことをそう、呼んだことがある。
 私がシャムシールに、理由を尋ねようとした時だった。まるで、私の問いを遮るかのように……ペザ門中央から、魔法波動が押し寄せた。もう、さざなみではなく、津波に近い。シャムシールに支えられていなかったら飛ばされていたと思う。
 そして……
 時空の遥か彼方へ、数億の距離を超えて呪詛世界へ、月魔法に紡がれた回廊が繋がる。
 耳鳴りがしているような魔韻の響きが、冷たいペザ門の魔方陣を満たした。弾けるかのような緊張の中で、私は震えながら立ち尽くした。
 お母さんのシルエットは、緩やかに舞うように……
「……我、沙叶の御名において、邪気と死人を解き放つ」
 銀骨色の輝きが、お母さんの携えた死神の鎌が、一閃した。
  きゃうっ!
 禁じられた呪詛世界への扉が開け放たれた。その瞬間、なぜか、身体中が熱くなった。というよりも、私の身体の中に流れる血が、死と砂と骨を願う呪文と共鳴し沸き立ったかのようだった。
 声にならない声を漏らしながら、耐え切れずに跪く。両腕で自分の身体を抱くようにして、ただ、身体を硬く強張らせ背中を丸めて、魔法の津波と、耳鳴りのような共鳴音とに震えることしか出来なかった。
 そして、ペザ門魔方陣の中央に開いた呪詛世界への扉から、溢れるように無数の妖魔が現れた。そいつらは、お母さんの唱えた呪文の中では、「邪鬼」や「死人」と呼ばれていた。夕闇のような赤褐色や、燃え殻のような墨色が、お互いに溶けて混ざり合いながら……無数の数え切れない数の妖魔が、ペザ門の聖殿を満たし舞い踊る。
 悪い熱病にかかったみたいに身体中の震えが止まらない。どんなに頑張っても、膝立ちに身体を起こすので精一杯だった。歩くことも出来ず、ただ、妖魔たちが時空転移門から次々と現れて、ペザの街へと解き放たれる有様を見守るしかないの。
 気づくと、私の傍にシャムシールが立ち、漆黒の衣に包まれた大きな背中が私を守っていた。
 お母さんは、淋しそうに立ち尽くしていた。きっと、泣いていたと思う。理由はわからない。でも、うつむいて、ぼんやりと立ち尽くして、何かを想う姿は、こんな光景の中なのに、とても綺麗だった。
 でも、私が見たのはここまで。
 もう、これ以上は耐えられなくって、気を失ってしまったの。

  ……ごめんなさい。
  ……この子は、きっと、私を許してくれないでしょうね……

 途切れる意識の中で、淡い声がつぶやいた気がした。

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